第一章 パートナー選び 8 ―チーム結成―
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8
病棟の廊下を歩いていると、忙しなく動き回っている看護師とすれ違う。
潤沢な資金があるはずのこの病院さえも、少し観察するだけで人手不足なのが垣間見える。
そういう意味では、冬子は実にありがたい入院患者だろう。
夏子はこの階のナースセンターとは離れている休憩所に行った。階の中央に位置するナースセンターに隣接されている休憩ロビーの方が広いが、あそこは人目がある。
一人になりたかった。
――しかし先客がいた。
入院患者でも、その見舞いに来た来客でもない。
女医だ。女性にしては大柄でガッチリとしている体格を、糊のきいた白衣で覆っている。
しかし清潔なのは羽織っている白衣のみで、ふけが浮いているボサボサの頭髪といい、くたびれて色褪せしているワンピースといい、その不潔さに、夏子は思わず顔をしかめた。
なによりも化粧が濃すぎる。
髪型と服装には無頓着なのに、特殊メイクばりに顔だけ厚塗りしているアンバランスさは、滑稽ですらある。
煙草の紫煙を吹かしていた女医は、夏子に気が付いた。
彼女は口の端を持ち上げた。夏子は軽く驚く。あまりの厚化粧に、表情を変えると肌に亀裂が生じるのでは、と本気で思ってしまったからだ。
「ごめんなさい。ひょっとして貴女、煙草は吸わない人?」
「ええ。吸わないけれど、喫煙所で吸っている人に目くじらを立てる程、狭量でもない」
「ここ喫煙場所じゃないし、一部の病室以外は全館禁煙だけどね」
夏子は苦虫を噛み潰したような顔になる。
その一部の病室に、冬子が宿泊しているから尚更だ。
「ああ、大丈夫よ。心配しなくとも煙感知器の位置くらいは把握しているから。いるわよねぇ。トイレの個室でこっそり煙草吸って、煙感知器を作動させちゃう人。バカなのかしら」
「それはバカではなく無知の類だろう」
「おーいえす。これは言葉の選び方を誤ったみたいね。あまりニホン語、得意じゃなくて」
「ニホン人に見えるが?」
「血統はね。基本、海外暮らしの方が長かったのよ。ん~~。で、最近この病院に研究も兼ねてヘッドハントされてねぇ。だけど医師不足だってんで、たまにこっちにも顔出してヘルプしているってわけ。この仮面みたいに分厚い化粧もさ、寝不足からくる顔色の悪さと目の下の隈を隠す為の苦肉の策なのよ。本音ではスッピンの方がいいんだけどね。皮膚呼吸が阻害されて不快な事この上ない」
「そうですか。それは大変ですね」
夏子は調子を合わせる。だが内心では小首を傾げていた。医師といっても、研究畑の医師と実地で患者を診察・治療する臨床畑の医師では、別物といっていいはずだ。
「ちなみに……、私くらい特別なスーパードクターになると、研究が本職でも大概の患者を診れる。むろん、あくまで主治医のサポートという立場を弁えての上だが」
「これは失礼した。ひょっとして顔に出ていましたか」
「いや。煙感知器の説明をしなくとも話が通じる程度の常識がある人ならば、貴女が内心で抱く程度の疑問も、常識の範囲内だから。そうそう。自己紹介が遅れていた。神家啓子です」
興味などなかったし、二度と会う機会もないだろうが、夏子も社交辞令として――
「よろしくね。伊武川夏子さん」
夏子は自己紹介を止めて、軽く頭を下げた。
「妹をご存じでしたか。例の不正とねつ造の件におきましては、不肖の妹に代わり謝らせてもらいます。本当にご迷惑をお掛けしています」
「私は最初からクィーン細胞なんて信じてなかったからノーダメージ。税金も気にしちゃいないし。魔研の成果である『増える昆布』も愛用している。まあクィーン細胞に希望を抱いた人には、残酷に過ぎる詐欺だったでしょうが。だが、ほとんどの人は煙感知器を知らない程度の無知ゆえに、伊武川冬子の不正行為が、科学界においてどれだけの事なのか理解できない」
夏子は理解している。伊武川冬子が犯した不正とねつ造は、科学界において歴史上で五指に入るであろう大事件であると。悪い意味で、冬子は歴史に名を刻んでしまった。
ピロピロピロ、と間の抜けた音が、啓子の白衣から聞こえてきた。
白衣のポケットから、啓子はPHSを取り出し、通話に応じた。
スマートフォンや携帯電話と比較して、電磁波の影響を極力抑えられるとはいえ、今時まだPHSとは徹底している――と、夏子は感心する。
通話を終えた啓子が言った。
「いいタイミングで呼び出しがかかってきた。ふふふ」
「そうですね」
これでやっと一人になれる、と夏子は緊張を解いた。そして気が付く。
(緊張!? この私が緊張していたというのか)
冬子の件で疲れているとはいえ、数多の修羅場をくぐり抜けてきた自分が、まさか女医一人に身構えていたとは。
啓子が両目を細めて夏子に告げる。
「貴女は確か【聖イビリアル学園】の教職が現在の立場でしたよね。証野史基という生徒が、魔術戦闘に敗れて重傷を負い、緊急搬送されてきた模様です。どうです? 伊武川冬子の潜伏先が生徒に知られるでしょうが、よければご一緒しますか?」
証野史基――という名に、夏子は驚き、啓子に同伴すると即決した。
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…
史基が何者かに襲撃、いや魔術戦闘を挑まれて、その結果として病院へ搬送された。
統護に第一報を送ってきたのはルシアであった。
ルシア・A・吹雪野というフルネームの、統護の専属メイドを自称する、謎の美少女だ。
それも絶世と評して大げさではない美貌。
彼女の本職は、堂桜一族の傍系である堂桜那々呼を護るSPであり、特殊部隊【ブラッディ・キャット】の隊長でもある。
影で呼ばれている二つ名は《アイスドール》。
公称十八歳という事以外、全ての経歴・過去がロストされている。
ルシアは独自の情報網を有しており、そのルートから統護に史基の件を報せてきたのだ。
統護はルシアが手配していた車に乗って搬送先の病院に来ていた。
すでに緊急手術は終わっている。
命に別状はない。
怪我は単純骨折がメインで、内臓や神経系に異常はなかった。
重傷ではあったが、リハビリさえ真面目にやれば、後遺症の心配もないと執刀医は説明した。
最高級の個室が予め予約されており、史基はそこに入院する事になった。
予約者は匿名で追跡不能だった。予約だけではなく、半年分の入院費と数回分の手術費用までもが、病院の会計用口座に振り込まれていた。間違いなく犯人の仕業だ。
現在の史基は意識を取り戻している。
ベッドから出られる状態ではないとはいえ、見た目は元気そうだ。
担当医師――神家啓子という女医から今後の説明を受け終わった史基の家族は、渋々といった様子のまま、半強制的に退出されられた。
史基の母親は、このまま病院に泊まり込みたいと申し出たが、啓子が許可しなかった。
父と母、そして姉が病室から出るのを見送ると、史基は決まり悪そうに言った。
「――悪いな統護。一緒に戦えなくなって」
「それはいいが……。お前のご家族には悪い事したって思ってるよ」
「お前のせいじゃねえ。意気揚々と魔術戦闘に応じておいて、負けたからって警察沙汰って、いくらなんでカッコ悪すぎる。俺にも最低限のプライドがある。……家族には理解できないだろうけどな、そういう矜持ってやつは」
「俺が言えた義理じゃないが、あまりご家族に心配かけるな」
この場にいるのは、当事者の史基、見舞いに駆けつけた統護、担当医の啓子、そして何故か【聖イビリアル学園】の魔術教師である伊武川夏子である。
病室のドアがスライドして、中年男性が入ってきた。
ノックも声かけもない。正確には、トイレに行って用を足してから、戻ってきたのだ。
「おい。ボーズ、被害者のご家族は?」
「私が帰らせました、刑事さん」
ボーズと呼ばれた統護ではなく、啓子が答えた。
刑事――綱義光兼警視は、警視庁捜査特課(通称、魔術犯罪・魔術テロ対策課)に籍を置いている私服警官である。年齢は五十代後半だが、刑事コ●ンボにかぶれているせいか、もう少し上の年代に見える。くたびれた愛用コートがトレードマークだが、周囲には不評だ。
綱義警視は渋面になる。
「勝手に帰宅させるなよ。まだ話終わってないのに」
「しかし患者本人が事件にする意志がない以上、いくら名高い魔術犯罪課とはいえ容易に首を突っ込めないのでは?」
「忌々しいぜ。被害者のガキも『何も覚えていない』の一点張りだしよ」
統護は綱義警視に意見を述べる。
「よくある私的な魔術戦闘の一つでしょう。死者も施設の被害もゼロだし、わざわざ綱義さんが出張ってくる程じゃないと思いますが」
「うっせえな。相方を外の車に待たせてるって時点で察しろよ」
「何か情報を掴んでいるんですか?」
「まぁ色々とな。今回の件にしても、半人前のガキ一人を半殺しにするにしては、事前準備に事後始末と念入りだしな。念入りというか、搬送先に入院先の手配、費用の振り込み等までだなんて、史上初のケースじゃねえか? 犯人の目的は何なんだよ。その証野ってガキについて軽く探りを入れたがボーズの友達って以外、ただの学生だしな」
啓子が綱義警視に退出を促した。
「表向き元気そうに見えても、患者の消耗は非常に激しいです。できればすぐにでも睡眠を摂らせたいので、明日にでも出直して貰えませんか、刑事さん」
「おーおー。そうお医者様に云われると反論できねぇぜ。で、追い出されるのは俺だけってか。今夜は大人しく引き下がるけどよ、第二、第三と同じケースが起こったら警察側だって黙ってねえからな。そこんところ忘れるなよ」
口汚く言いながら、綱義警視も病室から出て行った。
壁際に陣取っていた夏子がドアに背もたれて、後頭部をつけた。
「気配は遠くなった。防音処理してあるので、廊下からの盗聴も無しと判断していい」
史基が言った。
「どうして伊武川先生がこの病院にいるんですか? まさか学校にも通報がいっているとか」
「それならば担任の琴宮先生が駆けつけるはずだろう。私がこの病院にいたのは、妹の様子を見に来ていたからだ」
「あ~~。例の件ですか。先生も大変ですね」
現在、話題沸騰中だ。
「言い逃れするつもりはない。ただ慈悲があるのなら、冬子がここに潜伏しているのは秘密にして欲しい。記者会見から逃げ回っている時点で、こんな事、言えた義理じゃないがな」
統護は話題転換をはかる。正直いってクィーン細胞の不正・ねつ造事件には、あまり興味がなかったし、今はそれどころではない。
「戦闘した公園内の監視カメラも画像が死んでいるし、街中の監視カメラも同様だ。ルシアに復元を頼んだが、那々呼でも簡単にはいかないって話だ。で、本当に刑事さんに云った通りに何も覚えていないのか?」
その問いに、史基は表情を改めた。
そして一連の流れを詳細に、統護たちに話して聞かせた。
聞き終えた後の第一声は、夏子であった。
「……状況から考えると、対抗戦の妨害工作としか思えないな」
「優勝候補の一人である俺を潰して、誰が得するんです? 賭け関係ですかね?」
「確かに今回のイベントは、裏社会で格好のギャンブル対象になるだろう。しかし賭けで儲けるのならば、妨害どころか反対により盛り上げようとするはず」
「胴元が二つ以上あって、その抗争の煽りって線は?」
「仮に参加者に飛び火するとしても、用意周到に過ぎる。胴元が複数あるのならば、統合した方が効率的だし、第二回の対抗戦が行われるかもしれない可能性を潰すはずもない」
う~~ん、と眉間に皺を寄せて考え込む史基。
統護は率直に思っていた事を口にした。
「綱義さんも言っていたが、こんな大がかりな真似を二度、三度と繰り返す可能性は低いだろ。単純に考えると史基をリタイアさせて終わりだと思う。【EEE】とかいうスーツ型【AMP】の実戦テストも兼ねているとしても、目的は――俺への妨害かもな」
「は!? なに言っているんだ統護。そりゃ斜め下に考え過ぎじゃないか」
統護は自虐的に言った。
「自慢じゃないが、俺は友達が少ない。なんかよく分からないが、淡雪と優季を怒らせたままで、かつ会長が不参加を表明している現状、俺に新しいパートナーの当てはない」
「妹さんと優季が怒った理由、マジで理解してないんだな、お前」
「え。ひょっとして見当ついているのか? 凄い洞察力というか推理力だな」
「お前がソッチ方面でアレってだけだ。たぶん俺の感性は並というか普通だろうな」
「うん。対人スキルが駄目な自覚はある」
「しょうがないヤツだな、お前。それで新パートナーだけど、お前というか《デヴァイスクラッシャー》と組みたいってヤツは多いぜ。頼めば、オーケー貰えるんじゃないか?」
夏子が史基の言葉を否定した。
「それが放課後に申請が殺到して、ほとんどペアが決まってしまっている状況だ。堂桜淡雪と比良栄もチームを組んで申し込んでいるぞ」
初耳だ。先日のMMフェスタの事件を経て、二人の友情が深まったのだろう。
「淡雪と優季か。それはめでたいな。対戦するなら強敵――って言いたいけど、先生」
「なんだ堂桜」
「俺、エントリーを辞めます。史基が襲われた件を考えると、自粛するべきだと思うんです。たとえ留年するってオチになったとしても、安易に他人を巻き込めません」
「そう言われると、私としても反対はできないな。個人的にはお前の戦いぶりを見てみたかったが、出場見送りが妥当な判断かもしれない。留年については、後で考えよう。どう考えても堂桜財閥が留年を許すとは思えないからな」
二人の会話に、史基が声を荒げる。
「そりゃないぜ!! 俺を襲った犯人の狙いは不明だけど、このまま泣き寝入りはムカツクぜ。イザとなったら会長と組んででも参加するんだ統護! 犯人、いや敵の狙いが統護の妨害だとしても、会長だったら、俺と同じでお前の為の危険くらい屁でもないって!」
「そうはいってもな……」
弱る統護。史基の気持ちを汲みたいという思いも湧いてくる。
夏子は統護の背中を軽く押した。
「エントリーするか否か結論するまでは、まだ時間的猶予はある。焦って結論を――」
ばぁん!
ドアが勢いよく開いた。
「悪いけど、話は盗み聞きさせてもらったわよッ!!」
全員の視線が出入口に向く。
そこには見知った人物――朱芽・ローランドが立っている。私服ではなく学園制服のままだ。
朱芽は輝くような笑顔である。
病室で大声を出すな、と啓子は苦々しく注意した。
史基が半白眼で夏子を睨む。
「確か先生は、ドアの外からなら盗聴の心配はいらないって言ってましたが?」
仁王立ちで腕組んでいる朱芽は得意げに言う。
「防音処理くらい知っているから、ドアをほんの少しだけ開けてたってだけ。単純でしょ?」
油断してドアの隙間に気が付かなかった全員の失態である。
「そもそも、どうしてお前がこの病院にいるローランド」
夏子の質問に、朱芽は舌を出した。
「親戚のねーちゃんがここの看護師やっているから。ウチのガッコの魔導科の生徒なら、この病院にコネがある人、珍しくないんじゃないかな?」
「偶然、遊びに来ていた――か。ふぅん」
「違います。ねーちゃん今日シフトじゃないし。偶然だったのは、パートナーに選んだ武田が訓練で怪我した、ってか怪我させちゃったんですよ」
「へえ。お前、健太郎を選んだのか」
「だって堂桜はアンタと組むっていうからさ。比良栄さんも予約済みだったし。仕方なく武田で妥協して申請して、放課後に魔術戦闘の模擬戦やって、それで手加減を間違えて大怪我させちゃって。せめてものお詫びに、ここに搬送したってわけ。治療費は出せないけどね」
「おいおい。武田は大丈夫なのか?」
訓練中の事故を防ぐ為に、通常ならば監督官として魔術教師が必要だが、口振りからすると独断で行った模様だ。もっとも【ソーサラー】同士による私闘や模擬戦は学園内では禁止されているが、表沙汰になっていないだけで、実質野放し状態だ。かつて私闘した、みみ架と史基は厳重に処分されて然るべきなのだが、証拠不十分としてお咎め無しで終わっている。
更にいってしまえば、戦闘系魔術師の私的な魔術戦闘も、他人を巻き込まなければ、警察は民事不干渉という立場をとる。一般人が往来で喧嘩したのならば、即、通報されてお縄なのだが、戦闘系魔術師の私闘ならば例外なのだ。戦闘系魔術師が世間一般から忌避される一番の理由でもある。
「全治五ヶ月くらいかな。手術はこれから。合計三回の予定。右足がスクラップ気味なんで、松葉杖とはちょっと長い付き合いになるかもってさ。ガッコに復学できるのは早くて来月くらいだって。武田も笑っていたわ。こっちは笑い事じゃないってか、見立て違いというか期待外れというか、予想よりアイツ、弱かったわ」
なんて言い草だ、と統護は呆れる。
恐ろしい事に、朱芽から武田を心配する気持ちや罪の意識が、まるで感じられない。
「それで新しいパートナーどうしようかなって困っていたら、なんと証野史基というネームプレートを発見したという次第でありまして。しかも、いかにも刑事っぽいオッサンまで出てくるし。これって天運かなって。いや運命だよねぇ」
統護は悪運だと思った。
朱芽はニコヤカに宣言する。
「ってなワケで、伊武川冬子の潜伏先とか証野襲撃事件とかを黙っていてあげるから、お互いに新パートナーといきましょうか、堂桜!」
戸惑う統護は、史基と夏子を見比べる。
二人とも朱芽に何も言わない。
「だけどローランドさん。聞いていただろ。俺と組むと危険があるかもしれない」
「危険バッチ来いよ! 面白そうじゃないのっ♪」
「本気で言っているのかよ」
「それからローランドじゃなくて朱芽って呼んでよ。もうチームなんだしね、統護」
気安さ全開である。
拒否するという選択肢を奪われた統護の手を、朱芽は両手で握り込んで、上下に振った。
この瞬間、統護と朱芽の新チームが、夏子に受理された。
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本作品は、暴力・虐め・性犯罪・殺人・不正行為・不義不貞・未成年の喫煙と飲酒といった反社会的行為、および非人道的、非倫理思想を推奨するものではありません。また、本作品に登場する人物・団体などは現実とは無関係のフィクションです。