プロローグ クィーン細胞
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少年――堂桜統護は目の前に迫りくる脅威に対し、驚愕を禁じ得なかった。
悠然と立ちはだかるソレは、最早ヒトというカテゴリから逸しているとしか思えない偉容だ。
厳戒な警備態勢を破壊する手段としても、明らかに異常に過ぎる。
「……ようやく時がきた。イレギュラーの〈資格者〉よ」
その台詞に、統護は息を飲む。
四肢の具合を確認するが、これでは存分に動けない。
ダメージの回復が遅い。超人的な身体機能を誇る統護であっても、強力な発勁によるダメージは特別なのか。可能な限り『化勁』と呼ばれる秘技で直撃を避けていたが、それでもこの様だ。二度の《ワン・インチ・キャノン》とカウンターの寸勁は、やはり効いた。魔術攻撃や物理攻撃とは原理を異にする、人体の神秘を最大限に利した超常系の武術は、統護も家伝として体得しているが、彼女のソレはやはり統護の発勁とはレヴェルが違う。
(ちくしょう。みんな無事なのか?)
脳裏に浮かんだのは、紅い仮面で素顔を隠した謎の二人組。
その正体は――果たしてどちらだ?
次いで懸念する事。
シリーズ化された少女。
ならば、そのオリジナルは?
奔流する統護の思惟を、無慈悲な声色が途絶えさせた。
「さあ、この世界にお前(イレギュラー)が存在している意味を、私の前に示すがいい」
目の前の相手が、更に変質していく。
否、変質ではなく変身、あるいは進化か。
儀式魔術――という単語が、堂桜の血脈である統護の〔魂〕に浮かび上がる。
ふぉおぉおおぉおん――……
多重する振動音を伴い、ゆっくりと展開される三対の六枚羽。
妖精的な羽ではなく、豊かな羽毛をたたえた鳥類を模している翼だ。一対で三メートルを超える長さの巨大な羽翼。それがヒト型の背から生えていた。その姿はまさに――
「お前は……いったい?」
そして、この異世界【イグニアス】とは?
愕然となる統護。
この相手に、統護の《デヴァイスクラッシャー》が通用しないのは、もう確定的である。
このまま戦っても確実に負ける。倒されてしまう。命を奪われてしまう。
紛れもなく最大の危機だ。
――もはや隠している『真のチカラ』を使うしか対抗手段はないのか。
いや、違う。
相手は識っている。統護のチカラを知っている。隠すことに意味はない。
コレはそういう存在だ。
「告げよう。この世界において私は名付けられた。我が〔名〕は……ッッ!!」
声高らかに〔名〕が、荘厳と響き渡る。
セカイに存在として確定させる。定義としては光臨ともいう。
その名はメッセンジャーだ。ゆえに選ばれた名なのか。
名付けた〈資格者〉が誰なのかは、状況的にすでに明白だ。
その〔名〕を耳にして、統護は初めて己に疑問を抱く。
(何故この異世界で、俺は〔神〕を召喚できるんだ?)
思えば、自然にできると確信して三度、顕現させたが、元の世界では考えられない事だ。
そもそも〔契約〕を継承する為の〔魂〕の精錬だった――はず。
それなのに統護は〔神〕の召喚に、〔魂〕の奥底に在るチカラをアクセスの源としていた。熟考すれば不可解さが鮮明だ。根本的に因果が逆ではないか?
元の世界で顕現が可能だったとしても〔神罰〕を下されて終わりだろう。
どうして自分は〔契約〕を楯にしたとはいえ、ヒトより上位存在であるはずの〔神〕を儀式という暫定処置方式でだが、ヒトの身で従えられるのだ?
眼前の存在は――その不自然さを統護に認識させる。
覚悟を決める前に、最後として、縋るように問いかけた。
「なあ、アンタはすでに」
「私は私だ。よってその疑問に答える意味はない」
超然とした感情の窺えない回答。
「どこで道を誤ったんだよ、アンタは……ッ!」
顔を歪め、歯軋りする統護。この土壇場に際して、あの朝のニュースを思い出す。
今の今まで、すっかり忘れていたというのに――
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◆
この世界には【イグニアス】という名が付けられている。
統護が元いた世界には名称などなかった。惑星には『地球』という名はあるが、それは世界の名とは認識されていない。そして【イグニアス】世界の母星の名称も『地球』だ。
高校二年生の一般人であった彼は、この世界に転生してきた異世界人である。
にわかには信じられないかもしれない。当人すら、元の世界から異世界への転生に気が付いた時には、衝撃と困惑が大きかった。
幸いだったのは、この【イグニアス】世界の言語・文化・経済等の体系が、統護の元の世界とほぼ合致している点だった。相似世界といっていい。
通称・魔術――【魔導機術】という、一般科学技術を凌駕する超技術が発展しているという、その一点を除いてであるが。
元の世界における魔術とは完全に異なるシステマチックな代物だ。元の世界と同様に神秘としての魔術も存在していたが、ソレ等に関わる者達は一括して古代魔術師――【メイジ】として再定義されている。
前途した【魔導機術】システムによる魔術を操る者を近代魔術師と呼んでいるのだ。
そしてサラリーマン家庭の核家族であった堂桜家も、この【イグニアス】世界では、魔術の利権と技術を事実上独占している堂桜一族となっていた。必然として、統護も一般人扱いではなく世界屈指の巨大財閥の御曹司である。
「いただきます」
慣れない朝の食卓。
この異世界にやってきて、まだ一週間も経過していない。元の世界とこの異世界の文化的・科学技術的な差異には順応できても、元の堂桜家と堂桜一族の差異には、違和感しかない。
「いただきます」と、対面の少女も続く。
名を――堂桜淡雪という。
年齢は十四で、統護が通うことになった【聖イビリアル学園】の中等部三年生。
異世界転移して、初めて会った人物が彼女だ。
元の世界にはいなかった妹だという。
ただし、彼女の魔術による生体解析――《バイオ・アナライズ》で、血縁はないと判明していた。すなわち、この異世界の両親とも血の繋がりはないという事になる。
そもそも異世界人なので、血縁云々という次元ではないが。
食卓の席に両親は不在だ。
多忙な二人が、この屋敷に戻って食事をする事自体が、非常に希である。よって家での食事の席は、兄妹二人と給仕係の使用人が壁際に控えている、という図が日常となっていた。
淡雪という名にふさわしい陶磁器のような白い肌に、絹糸のような黒髪をストレートロングにしている、上品な美しさを誇る『妹』に――統護は慣れない。
大人しめな外見だが、それが彼女の美貌を格調高く演出している。
どうしても『女の子』として意識してしまう。
完璧な箸捌きで和食を口に運んでいく淡雪に、統護は遠慮がちに訊いた。
「あのさ、テレビつけていい?」
「番組は?」
「ニュース。ほら、情報収集は必須だろ」
近くに使用人がいる手前、あまり込み入った会話はできない。統護が異世界人である事は、この淡雪とだけの秘密であった。ボロを出すリスクは可能な限り排除したい。
統護はテレビ画面に目を向ける。
『これはまさに、魔術と化学の融合による、夢の万能細胞です!』
女性アナウンサーが興奮混じりに原稿を読み上げていた。
特集である。
民間企業である堂桜系列とは別に、ニホン政府が国家プロジェクトとして出資している【魔術化学研究所】の発見を伝えるニュースであった。それも世紀の大発見としてだ。
STAE細胞。
魔術効果惹起性進化性獲得(Shock-magic Triggered Acquisition of Evolutionary)を意味する細胞とテロップで解説されている。
「ふぅん……」
統護のいた元の世界では、万能細胞といえばES細胞とiPS細胞が有名であった。
詳しい原理は知らない。しかし番組にゲスト出演している識者の説明によると、今回発表されたSTAE細胞は、多様性を獲得する為に遺伝子を導入する必要があるiPS細胞とは異なり、魔術現象による刺激で、体細胞の分化記憶をリセット、全能性をもつ細胞へと進化させるという物である。つまり従来とは樹立径路が全く異なる万能細胞なのだ。
概要を理解した統護は、思い浮かんだ疑問を口にする。
「魔術関連の特許って堂桜が独占してんだろ? それに魔術を直接的に人体に作用させる医療行為って、法的制限がかなり厳しいって話じゃなかったか?」
「そうですね。仮に実用化まで辿り着いたとしても、利権関係での国側との調整は避けられないかと。何年後の実用化を目指しているのか不明ですが、その時までに法関係も新しく整備されているでしょう。安全性の確立――よりも、このSTAE細胞を悪用・転用した人体の魔術改造を防ぐ為ですね。医療に対する魔術の制限は、人体改造を禁ずるのが目的ですので」
「実用化の目処……か」
このSTAE細胞が実用化されれば、再生医学やガン、免疫、遺伝子疾患の克服だけではなく、若返りさえ可能になるという。難病に苦しんでいる人々の希望だ。
淡雪が付け加える。
「このSTAE細胞における魔術の位置づけですが、あくまで純粋な万能細胞を生み出す為の手段ならば、法的障害は低いでしょう。逆に、万能性を有した魔術細胞であるのならば、仮に人体に影響する魔術ではないとしても、実用化可能となっても法的に運用は厳しいかと……」
「なるほど」
直接人体に魔術を作用させる医療手段――魔術医療も、当然ながら研究されている。
魔術現象は物理現象を越えて、現実にエミュレートされるのが最大の利点である反面、持続性に難がある。というか、魔術現象を魔術師なしで永続させる事が不可能だ。つまり魔術治療で難病を一時的に克服できても、その治療魔術を本人が維持し続けなければならない。むろん一時的な魔術治療のみで、後は通常医療や自然治癒で完治する怪我や病気も多いが、そういったケースは、法的に厳しく魔術使用を制限されている。要は投薬と同じだ。
もちろん法律である以上、様々な利権と思惑が、倫理・思想・技術問題と同等以上に加わっているのは、わざわざ記載するまでもない。
テレビ画面は、論文を発表した伊武川冬子博士のインタビューに切り替わった。
年齢は二十九歳となっている。役職はグループリーダー。研究者としては出色の若さだ。
満面の笑みの彼女は、目を輝かせてインタビューに応えている。
『今までの万能細胞に比べて、STAE細胞は作るのが非常に簡単で、しかも高確率で成功するんです。このSTAE細胞を世界中の人々の為に役立てたいですね』
『簡単かつ高確率で作れるとなると、一刻も早い実用化の期待が待たれますね』
『百年後くらいに実用できたら凄いな~~って思っています!』
インタビュアーが「へ?」という顔になる。どうも生放送の様だ。
統護は首を傾げた。
「なあ。簡単・高確率の成功なのに、なんか実用化が百年後とかすっ飛んだぞ?」
「それは安易に数年後とか言わないように、魔研側から口止めされているのかと思います」
淡雪も歯切れが悪くなる。
「というかさ。この伊武川博士って……」
「ええ。【聖イビリアル学園】の魔術教師である伊武川夏子教諭の身内かと」
その言葉と当時に、伊武川冬子博士の経歴が紹介された。
伊武川家は代々学者の一族であり、元物理学者の父は大企業の重役、母は著名な心理学者である。そして三人の子供も特徴的な経歴であった。
先に紹介されたのが、冬子の姉で、統護も学校で見知っている【聖イビリアル学園】の魔術教師――伊武川夏子だ。年齢は三十二歳。独身。
夏子の経歴は【聖イビリアル学園】高等部を卒業した直後から、全て抹消されていた。
それは、すなわち伊武川夏子という人物が、国家レヴェルの機密に関わる特殊工作員であった事を意味する。その任から離れて、市井に戻ったからこその現在の教職だ。
「写真うつり悪いな、伊武川先生」
無愛想な美人――と記憶しているが、写真の夏子は単なる無愛想である。
次に紹介されたのが、姉妹の兄である伊武川秋人。
元研究者で、更に元役者という肩書きだ。現在は作曲家『佐町コーヂ』として活動している。四十八歳で妻帯者だ。夫婦だけで子供はいない。
ドレッドヘアに濃い顎ヒゲ、加えて大きめのサングラスという特徴的な外見が映された。
統護は知らなかったが、『蘇ったベートーベン』と呼ばれる天才作曲家らしい。三十二歳の時に重度の聴覚障碍となり役者を断念し、作曲家へと転身。僅か十五年で様々な歴史的作曲家達のエッセンスを習得し、オリジナル曲の基として活用しているという。
ピアノは弾けない代わりに……という彼の特徴的なプロモーションビデオが流れている。
「……つか、あのオッサン、どうして壁にヘッドバットかましてるんだ?」
「天才ゆえの奇行、なのでしょうか?」
画面は再び冬子に戻る。
「最初から気になっているだけど、伊武川博士って研究者の割に、なんか化粧とか髪型とか、白衣の下の服とか派手っていうか……。普通は研究者って日夜研究ばかりで、身なりを気にする余裕なんてなさそうなイメージなんだけど」
特に女性科学者は男性科学者よりも、よりストイックに振る舞わなければ、世間から色眼鏡で見られかねない。女性だからという甘えが通用しないのが、研究や学問の世界だ。
「今回の会見用に特別ですよ。普段は身なりなんて構っていないはずです」
「そうか? でも、つけ睫毛のまま顕微鏡って素人目にも変だと思うんだが……」
「そうですね。あの指輪も研究者として不謹慎というか、本来は少女向けのブランドですし」
ブランド品? 研究者が? 統護は違和感を覚える。ダメとはいわないが、あまり着飾った格好でマスコミに露出しても、他の女性研究者がいい顔するとは思えない。
「研究室でウミガメ飼うってのも奇抜っていうか……、いいのか?」
「どうも変わった方のようですね、伊武川博士。そんなに興味がおありならば、伊武川先生にお話を伺ってみては?」
淡雪の言葉に合わせるように、『昔から不思議ちゃんと云われています』と、伊武川博士は受け答えしている。誇らしげで楽しそうだ。
紹介されている研究室内は、統護には実験機器が少なく思えた。
伊武川冬子はインタビューの最後を、こう締めくくった。
『STAE細胞ってカタカナで呼びにくいじゃないですか。それで私、ずっと愛称で呼んでいたんです。できれば、こっちの名前が定着してくれれば嬉しいですね』
『どんな名前ですか?』
『それはですね、悪い魔女に捕らえられた女王様を救い出す騎士をイメージして……
――クィーン細胞です!!』
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本作品は、暴力・虐め・性犯罪・殺人・不正行為・不義不貞・未成年の喫煙と飲酒といった反社会的行為、および非人道的、非倫理思想を推奨するものではありません。また、本作品に登場する人物・団体などは現実とは無関係のフィクションです。