第四章 託す希望 5 ―名簿―
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不思議な声音だ。
重厚であるのに親しみを覚える軽妙さを兼ね備えている。例えるのなら、恐がっている幼子を安心させる母親の囁きを、力強い父親が行っているかの様だ。
「お前と俺は、いつか雌雄を決する運命だろう。その時まで腕を磨いておくがいい」
統護は《ファーザー》に言い返す。
「ウリエルとベリアルの言葉が真実なら、お前は淡雪を奪い、この【イグニアス】世界を破壊するつもり――らしいが、その理由と目的は何なんだ?」
天使と悪魔の説明を聞いて、統護はずっと疑問に思っていた。
《ファーザー》は単純に他の〔神〕、すなわち【イグニアス】世界の〈創造神〉に戦争を仕掛けているのではないだろう。それならば、わざわざこの異世界の人間として再誕する必要はないのだから。
統護の問いに、ウリエルとベリアルの表情が微かに曇る。
対照的に《ファーザー》は余裕たっぷりに両肩を竦めた。
「不完全な〔神〕のくせに、そういう細かい処には気が付くのか。お前が〔神〕としての俺の正体を分かってるのかは別として、当然、理由もなく俺は人間を維持していないし、理由もなくこの異世界を破壊しようとなどは思わない。それを推理するのも、お前の戦いだろう」
「人間として転生した理由の一つなら、推理できる」
統護は言った。人間としての転生は、この【イグニアス】世界の〈創造神〉に感知されない方法で【イグニアス】世界に潜入するのに、最も適した方法だからである。
いかな〔神〕であろうと、己が創造した世界の全ては把握できない。
人間というカテゴリに限定してさえもだ。全世界の人口が数万単位ならばともかく、数億単位にまで増加してしまえば、どんな〔神〕であっても全人間の状態をリアルタイムでは追えなくなる。
状態を把握するには対象の『記録と記憶と因果』――そのメモリ媒体である因果素子の読み込みと解析が必要になるが、〔神〕といえど数万人分の因果素子を同時読み込み、並列解析するなど不可能なのだ。
観測者資格を有する〔神〕およびその〈神下〉者であるが、単身のキャパシティには限界がある。他者から制限を掛けられなくとも、限界がない=無限大の観測資格ではない。
よって〈創造神〉は世界創世時に、管理システムを構築する事が慣習となっていた。
システム管理権限を掌握する能力と資格=概念としての『神』と置換できる。
管理内容は因果素子だけではない。
創造世界を運営していくに当たって、必要と思われる全てを包括したシステムである。
仮に、〈創造神〉が直接的に運用しない場合は、自身に代わる管理資格責任者――疑似神として〈神代〉を用意するのだ。どの様な世界であっても無柱では維持できないのである。
そして、世界管理システムへのハッキング対策として、実数空間では諸々のデータには干渉できない様に厳重なセーフティをかけるのだ。
しかし、完璧な世界管理システムを実現させた〔神〕はいない。
現状のシステムでは、人間一人分であっても全ての因果素子を読み込み、完全な解析の実行には相当量のシステム・リソースとメモリ・キャパシティを割り当てなければならないのだ。
従って〔神〕が管理システムを通してさえ、詳細に生涯を観測できる人間には、当然ながら限りがある。世界の歴史に影響を与える極一部の人間の観測のみにどとまっていた。
つまり〔神〕は一般人の人生など、知る由がないのだ。
世界の確変を察知して、その原因を追跡し、その結果として新しい人間を観測する。それも実数空間からシステムの特殊ツールを介しての、表面的な因果素子のみにとどまる。仮に因果素子全てを――となると〔神〕は直接的にコンタクトを取る必要に迫られる。つまりシステム管理用かつ巨大過ぎる存在係数の防御対策としての虚数空間(限定でも構わない)からのアクセスが必須となるのだ。
ゆえに、その観測対象外の人間(一般人)として《ファーザー》は、【イグニアス】世界に潜り込んで、【エルメ・サイア】設立まで雌伏し続けたのである。
統護は言った。
「お前が〈神化〉せずに人間のまま、この世界の管理システムを欺けるようになった理由も、おおよそは推理できる」
「ふむ。そこまで分かってるのなら、俺が反【魔導機術】を掲げて、人間のままで世界を破壊しようとする動機も分かりそうなものだがな。いや、理解できないのならば、俺の下につくがいい。そうすれば、この【イグニアス】の真実を教えてやろう」
統護は思わずウリエルとベリアルに視線をやる。
辛うじてポーカーフェイスを維持している天使と悪魔だが、その瞳は揺れていた。
(この二柱も、果たして味方か、あるいは敵か……)
視線を戻すと、《ファーザー》は芝居がかった口調で、天使と悪魔に謝る。
「おっと! こいつは失礼した。余計なコトは言わない約束だったな。この身は人間なので、つい口約束と油断してしまったな。俺らしからぬ失言だった。忘れろ堂桜統護」
わざとらしい道化っぷりに、統護は失笑した。
「ああ。忘れたよ。俺がお前の下につくはずがない、なんて分かり切っているだろう」
「別に腹芸のつもりではなかったのだが。うむ。これ以上の会話は、どうやら見逃して貰えなさそうだな。端的に俺とお前は戦う運命だ。
――互いにとって『唯一の女』を争う為に」
統護はその台詞を補足した。
「俺にとっては女を護る為だけの戦いじゃない。この異世界【イグニアス】そのものを護ってみせる。俺の大切な人達が暮らす、この世界をお前に壊させはしない」
「そうか。それが今のお前か、堂桜統護。『女や大切な者達を護る=世界を護る』が最後まで成立すればいいな。最初から相反している俺は、その点は気が楽だ。もしもお前の気が変わった時は、遠慮なく泣きつくがいい。その時は遺恨を水に流し、喜んで迎え入れてやろう」
「遠慮するよ。アンタだって望んでいないだろう?」
視線がぶつかり合う。
それは決して不快な睨み合いではない。
「ああ。俺はお前と決着をつけたい。どちらが女を幸せな結末に導けるか、な」
その言葉と同時に、モニタの幻像が消えた。
ウリエルが告げる。
「お前達は互いに倒すべき相手と認識した。今はそれで充分だろう」
統護は頷いた。
直接、相対するのは先の話だろう。こちらから会いに行けるか。向こうから会いに来るか。
どの道、統護と《ファーザー》の戦いは、これが真の幕開けである。
面会が終わり、ベリアルが言った。
「それでは約束の物をお前に渡そう。それを持って【結界】の外へ出るがいい」
ベリアルは台座ではなく、ポケットから紅い原石を取り出して、統護に手渡した。
統護は受け取ったレアメタル――《アスティカ》を確認する。礼を云ってポケットに入れた。
先に行け、と言われた。ウリエルとベリアルは後で見送るという。
「アイツとの会話は覚えていられるのか?」
「記憶消去については《ファーザー》との会話と我らの正体は除外しよう。お前が目にしたレアメタルの秘密は、今は忘れて貰う。そしてポアンについては、外に出れば分かる」
統護は検査室から一人で出た。
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…
廃棄物置き場の隅で、締里は身を縮めていた。
ここは粗大ゴミが投棄される場所で、産廃業者による回収は一週間で二度か三度である。
見回り頻度も低い。クリーンスタッフよりもガードマンがメインで巡回・点検している。各部署は総務部に届けを出さなければ粗大ゴミは棄てられない。しかし、時に無届けでゴミを投棄してしまう作業員がいるので、定期的にチェックされるのだ。
(残り一分……)
この場から次の場へ移動するまでのリミットである。
いま安全だからといって、次の瞬間に安全だという保証はない。よってプランに沿って動くのは鉄則だ。感覚に従うのは、ピンチの察知のみ。安全は錯覚だと常に念頭に置く。
(残り、十五秒、十四、十三)
宅配員用の制服を着ている女性が、隠れている締里を覗き込んできた。
女性と締里は見つめ合う。
締里は軽く驚く。
予定外に発見されてしまった場合は、速やかに相手を実力で無力化し、その相手の服を奪って次の予定地点へ向かう。無力化した相手は、手足を拘束してこの場に隠すのだ。
そして逆に――
「偉い偉い。キッカリ『予定通りに』行動しているじゃん」
ニヤリ、と女性は愛想良く笑った。
「どうも~~♪ 赤猫トマトの宅急便ですよ」
愛想は良いのだが、含みがある笑い方である。彼女はニホン人だ。童顔だが、実は二十五歳である。大人びて見えるようにメイクを頑張っているが、それが逆効果になって、少女めいた初々しさを演出していた。
身長と体格は締里と大差ない。ニホン女性としては平均からやや小柄。世界基準で判断するならば、東洋人女性は成人でも子供みたいだ――となるだろう。
「なによ無愛想ね。私の登場に少しは驚きなさいよ」
「別に。ルシアの人選に呆れているだけ」
驚きを隠して、締里は素っ気なく言った。
自分と統護がロスト状態であっても、互いに可能な限り当初の計画通りに動く事は、一番最初の段階で打ち合わせしていた。だからルシアが潜伏させていた補佐要員が、一日に一回だけこの場所の様子を確認に来る事に驚きはない。
驚いたのは、ルシアが寄越した工作員が、『あの』琴宮深那実だという一点に尽きる。
締里は油断なく深那実に訊いた。
「特殊工作員からフリージャーナリストに転身したって聞いていたけど?」
「ルシアに請われて暫定的に現役復帰したってわけ。本当なら当面は国外に出る予定はなかったんだけど、ギャラが格別だったんで。小遣い稼ぎよ。儲け儲け♪」
「そう。悪名高い貴女に頼まなければならない、とルシアが判断する状況なのね」
深那実は制服を見せびらかす。
「ぶっちゃけ、私じゃなければ潜入はともかくブツの運び込みは無理だったしねぇ」
「そんなに大がかりなブツを?」
「ええ。ルシアのシミュレートだと『七十八パーセントの確率で必要になる』とさ。大変だったんだから、アンタ専用のアレをコッソリと工場内に持ち込むのは」
自分専用のアレ――という言い回しに、運ばれたモノが何か締里は理解した。
そのまま持ち込める代物ではない。分解した状態で運び込んで、工場内で組み上げたのだ。
「運び屋としても超一流ね。私には出来ない。流石は伝説の工作員、琴宮深那実」
かつて数多の特殊機関を手玉にとった深那実である。
戦闘力を慮外し、特殊工作員として自分と深那実を比較すると、明白に深那実が格上だ。
加えて【ソーサラー】としての実力も、深那実は折り紙付きなのだ。
深那実は「んべっ」と大きく舌を出して見せる。
「違う違う。運び屋じゃなくて、赤猫トマトの宅急便だって言ったでしょ」
A5サイズの紙を二枚、締里に手渡した。
目を通した後は、焼却処分する。
深那実は足早に去って行った。共に迅速に次の行動に移らなければならない。この場で二人が会ったという事は、締里の行動計画の大幅な変更を意味するのだ。
(二枚? 一枚目は……)
一枚目の紙には、これから先の行動を指示するタイムテーブルが記されていた。
即座に記憶する。本音では真っ直ぐ統護を目指して合流、二人でそのまま最短距離で工場を脱出したいが、かなりの迂回を指示されている。時間は消費するが、それもルシアの計算に入っているはずだ。問題は脱出後の行動だが、その時、統護はどうなっているのか――
二枚目を見て、締里の表情が強ばった。
内容は、ラグナスのセーフハウスで起こった惨劇の被害者リストであった。
十七人の名前の羅列。
必要ならば参考にしろ、という事か。
マスコミへの情報統制が厳しいファン王国だ。特に海外に向けた内乱関係の情報は、かなり厳重にコントロールされている。しかしルシアは公式報道されていないセーフハウスの殺人事件まで、詳細に突き止めていた。そこまで追跡できたからこその締里への指示なのである。
知った名前を、被害者リストの中に発見してしまった。何度見直しても変わらない。
「な、なんて……事なの」
声が震えていた。締里は自身の致命的なミスを思い知る。
完全な思い違いをしていた。敵が施策していた心理トリックに引っかかっていた。
オリガの台詞を誤解してしまうという不運も重なった。
識別用の【結界】に記録されていた人数が十八。被害者の総数が十七。そして……
被害者リストの中に、ラナティア・ブリステリの名前がある――ッ!!
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