第四章 託す希望 4 ―宿敵―
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――宗教、そして魔術。
多層宗教連合体【エルメ・サイア】の設立と活動に、この概念は欠かせない。
まずは宗教。
数多の神話や超自然的なチカラ・存在等への信仰、および信仰に伴う儀礼・行事、それらの関連的体系や制度が、現代の【イグニアス】世界で宗教と定義されているものだ。
宗教は三つに大別できる。
アニミズム、精霊崇拝、トーテミズム等の――原始宗教。
特定の民族に信仰される――民族宗教(部族宗教)。
最後に、一般的な宗教として最も知られている――世界宗教(普遍宗教)。
世界宗教とは、キリスト教、イスラム教、仏教の三大世界宗教をはじめとして、多種多様である。世界宗教は教典、教義、典礼、そして教祖(=神および神の代弁者)を持っている。
また、原始宗教・民族宗教・世界的宗教とは別に、新興宗教(=新宗教)も存在する。
人が教祖となり新しい教団を経営する、というイメージが強い新興宗教だが、神道系と仏教系の二大系統も新宗教に含まれている。幕末から明治以降に成立した宗教を指す言葉だ。
そして、前途した区分体系とは別に、教祖からも宗教を区分できる。
教祖が創唱して成立した――創唱宗教。
自然に発生して成立した――自然宗教。
要するに宗教とは様々な過程によって生まれ、形成され、育まれているのだ。
宗教とは、直接的に携わっている教団や信者が独占するものではない。
社会と自然の中で生活する人々にとって、宗教とは『人と神の関係性』であり、『絶対帰依への感情』であり――国や民族によっては、経済よりも深く人生に根付いているのだ。
宗教史、宗教社会学、宗教心理学、宗教民族学、宗教人類学、宗教哲学など、学問としても宗教は多岐に渡っている。
だが、この【イグニアス】世界において、宗教を揺るがす世界的変革が起こった。
それが堂桜一族が開発・発展・普及させた『魔術』――【魔導機術】システムであった。
技術として実用化された魔術は、【イグニアス】世界にある数多の宗教を脅かした。
単なる既得権益への来襲ではない。
宗教の原始的形態は、超越存在である神への信仰、あるいはフェティシズム、精霊崇拝、天体崇拝、自然崇拝、トーテミズム、シャーマニズムなどである。
神、マナ、霊魂といった概念に基づいていた宗教にとって、人間に秘められている魔力によって現実に超常現象を引き起こせる【魔導機術】は、都合が悪かった。
不都合なのは宗教にとってだけではない。
魔術もまた同様であった。
便宜上、魔術と通称される【魔導機術】だが、従来の『本当の』魔術にとっても、【魔導機術】は、この上なく不都合かつ邪魔な存在である。
元々の魔術とは、超自然的な力を統制する為の理論と実践の総称だ。
本来、魔術的世界観・世界の階層構造は秘匿されつつ発展していた。表向きは『隠されたもの』というラテン語に由来する、オカルティズムの一部として、神秘学、隠秘学というカタチで表に出ている。占星術・錬金術・神霊学といった系譜でも世に知られている。
秘匿されながらも、魔術は最先端の知と技術を取り入れながら、カタチを変えて現代に生きているのだ。
とはいえ、黒魔術・白魔術・赤魔術・青魔術・妖術といった名称と区分は、特定宗教の視点によるイデオロギーの結果であって、この【イグニアス】世界において実際に秘匿されている魔術とは、また別の代物でもある。
歴史的に、世界の階層構造は一定周期ごとに再魔術化が繰り返されてきた――のであるが、現在進行形でそのサイクルを阻害しているのが、堂桜財閥による【魔導機術】なのだ。
しかし【魔導機術】の恩恵を受けている一般人にとっては、宗教と【魔導機術】の並立は、さほどの問題ではない。それはそれ、これはこれ、と割り切って受け入れた。
なにしろ【魔導機術】は経済体制および産業構造さえ、歴史的にはごく短期間で激変させて、末端にまで下れば、世界規模で大勢の労働者が従事・関係しているのだから。
宗教および魔術の既得利権サイドも、表向きは同様のポーズをとるしかなかった。
異を唱えたのならば、利権に関係ない信者を失いかねないからだ。
よって表立たずに、社会の裏側から【魔導機術】に反抗するしかなかったのである。
結果として、その反抗はテロとしての犯行と違いはなかった。
宗教利権団体の数だけあったその闇の勢力群は、約二十年前に裏世界最大規模の一大犯罪組織としてまとめあげられた。
十一人の理事を頂に置いて、世界中の宗教団体が国境と教義を超えて、裏世界限定とはいえ手を結んだのである。宗教対立で時に戦争さえ起こっていた、この【イグニアス】世界にとって、これは宗教史のみに留まらず、世界史という視点から歴史的な偉業であった。
同時に、【魔導機術】が果たした負の偉業とも記録される事となった。
その組織は、反【魔導機術】過激派テロ組織ではなく、多層宗教連合体と呼称される。
多層宗教連合体――【エルメ・サイア】と。
呼称の発端はマスコミの報道であったが、一番最初に誰が命名したのかは定かでない。
もちろん多層宗教連合体の存在は公式ではなく非公式での常識であり、また基本的に反【魔導機術】運動以外のテロには一切関与せず、を貫き通している。
多層宗教連合体をまとめあげた首領こそ《ファーザー》と名乗る謎の男だ。
宗教サイドの理事十一人は、【エルメ・サイア】においては主にマネーフローと人脈操作、情報操作という組織運営基盤の中核を担当している。つまりテロ実働サイドとは切り離されている。《ファーザー》は運営側の理事十一人とは別の幹部――通称『コードネーム持ち』を、組織のテロ活動実働部門のリーダーとした。
活動面における中核――『コードネーム持ち』は《ファーザー》の腹心であり、【エレメントマスター】と定義される規格外に強力な【ソーサラー】だ。
結局、【魔導機術】を妨害する為に、戦闘系魔術師を使わざるを得なかったのである。
そして首領《ファーザー》は、世界中の諜報機関が追い続けているのを嘲笑うかのごとく、今でも素性は謎に包まれたままだ――
◇
男は我慢できずにテレビのスイッチをオフにした。
リモコンは使用しない。
多層宗教連合体【エルメ・サイア】を特集した番組であったが、すぐに見飽きた。
被害者に視点を当てた番組構成である。その点にも目新しさはない。番組スポンサーは堂桜の関連企業で占められていた。【エルメ・サイア】を社会の敵として現在の魔導世界を一つにまとめ上げたいという、スポンサーの思惑を隠そうともしていなかった。
(それは別にいいのだがね……)
彼はスポンサーではなく、この特番を担当したプロデューサーの凡庸さに呆れ果てている。
単純につまらなかったのだ。プロデューサーは一から修業し直すか、廃業するべきだ。
屋敷のリビングでくつろいていたのだが、興が削がれてしまった。仕方がない。少しばかり溜まっている【エルメ・サイア】首領としてのデスクワークに戻るとしよう。
この男は《ファーザー》とだけ呼ばれている。
観ていた特番でも《ファーザー》という名称以外は出てこなかった。
むろん本名ではない。
更には真名――〔神〕としての〔名〕とも異なる。
《ファーザー》は〈神座〉を保持した状態で、この【イグニアス】世界に産まれた。
九十七年前に誕生して、五十二歳時に鬼籍に入っている。あくまで戸籍上の話であるが。
血統や家族という関係性は、彼には不必要だった。だから廃棄した。
彼は保持している〈神座〉の存在を胎児の時から知覚しており、生物というカテゴリを超えた存在として産まれたのである。
前世である〔神〕としての記憶も全て鮮明に維持している。これは〈神座〉のチカラだ。
人として生まれ変わった事による、人格・性格の変化もなかった。
彼は〈神化〉せずに、あくまで人間として潜伏を続けている。
一度でも〈神化〉してしまうと、二度と元の人間には戻れなくなってしまうからだ。
ゆえに彼は〔神〕としての己を滅して、〈神座〉を保持したまま、この【イグニアス】世界に人間として生を受け直したのである。
いや、〈神座〉を保持したまま――という表現は不適切だ。
何故ならば、〔神〕という超越存在は意図して己の〈神座〉を放棄できないのだから。
巨大なチカラに伴う責務の放棄は、決して赦されない。
他の〔神〕に敗北し、存在を消滅させられた時、初めて〈神座〉から解放されるのだ。
人間に産まれ直した際、〈神座〉の知覚に失敗してしまう例もある。その場合は、人間として生を終えて、その子孫へと〈神座〉は放流していく。元の保持者である〔神〕の転生体が、子孫として継承した〈神座〉を知覚するまで空位のままとなる。あるいは他の〔神〕が空位の〈神座〉の存在に気が付いて回収する。
実際、《ファーザー》も自身の〈神座〉だけではなく、他者から簒奪・回収した空位の〈神座〉を数席保管していた。
彼はあくまで人間としての自分を維持している。とにかく現界のために存在係数の数値を抑えなければならない。
とはいっても、むろん『普通の人間』からは逸脱した存在だ。
直接的に〈神座〉のチカラは発揮させられない。それは〈神化〉しなければ不可能だ。
しかし、この【イグニアス】世界は、色々な意味で特別な平行世界(ステージ)であった。
間接的にならば、彼は〈神座〉のチカラの一部を発揮させられる。
統護には出来ない芸当だ。統護は〔魂〕の裡に〈神座〉を知覚できても、人の身のままではその一端にすら触れられない。堂桜の血脈の特殊性で封印は可能なのだが。
《ファーザー》は〈神座〉を利用して肉体の老化を停止させていた。
それだけではなく、いわば【現神人(あらかみひと)】の彼は〈神座〉と【魔導機術】システムを強制リンケージさせて、通常を超えた【魔導機術】――いわば《超魔導》もしくは《魔導神術》と定義できるチート技術で、超常現象を顕現させられる。
この【イグニアス】世界で【魔導機術】が使えない統護とは根本的に違う。
イレギュラーに転生した堂桜統護とは異なり、正当な手順でこの【イグニアス】世界の人間として生まれ変わった《ファーザー》には利用資格がある。彼は【DVIS】ではなく〈神座〉を疑似IDとして【魔導機術】システムにハッキングおよびリンクして、チート的に【魔導機術】を不正利用できるのだ。
同じ〈神座〉保持者であっても、彼と統護はあらゆる面で異なっている。
統護はチーターではなくシステムに拒否されるイレギュラー。
対して、彼は〈神座〉という不正ツールを使用するチーター。
彼の《超魔導》は【エレメントマスター】の超規模魔術(戦略級魔術)すら遙かに凌駕するチカラ。
【魔導機術】システムに対してのチーター同士とはいっても、彼は【エレメントマスター】というチーターとは異質のチーターだ。そのチカラは純虚数空間でなければ存在さえ害悪となる神魔のチカラよりも、この世界においては柔軟に運用できる万能に近い能力といえた。
(……ん?)
スイッチを消したはずのTVモニタから、気配を察知した。
《ファーザー》は口の端を微かに持ち上げる。
「迂闊だった。覗かれていたのか」
忌々しい、とは思わない。
いくら《ファーザー》が特別とはいえ、【魔導機術】システムを介してこの国――ニホンに転移したのだから、ログから居場所の追跡くらいは可能だろう。
倒すべき相手も――自分と同じ〔神〕なのだ。
「しかし、覗く程度が現在の関の山だろう」
こちらが切り札を模索しているのと同様に、相手側も切り札を模索している段階だ。
互いにまだ決め手がない。
パチン、と右親指と人差し指を鳴らした。それが合図となり、モニタに少年の姿が映る。
その少年の名は――堂桜統護。
《ファーザー》と同じ〈神座〉保持者であり、《ファーザー》とは異なる〈神座〉保持者だ。
(そちら側の切り札が、その少年か)
統護は《ファーザー》の視線に気が付いた。
泰然と、そしてフレンドリーに《ファーザー》は統護に呼びかけた。
「ようやく巡り逢えたな、俺の宿敵よ」
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…
天使(ウリエル)と悪魔(ベリアル)が出現させたPCモニタの幻像。その画面内――
そこには一人の男が映し出されている。
統護はその姿に魅入られた。
肉体のフォルムは長身かつ屈強だ。野太くビルドアップされているはずなのに、まるでモデルのようにスマートな印象を受ける。さながら影絵の錯覚のようだ。
不思議なのは肉体のフォルムにとどまらない。
老成した貫禄とエネルギッシュな若さが同居している貌だ。青年なのに老人にも見える。
そして色っぽい唇と、威圧的な双眸。
光の加減によって赤や金に色彩を変化させるセミロングの頭髪。
上半身裸の上に、司祭用のローブをラフに着ている。それがまた様になっていた。
この男が《ファーザー》だと知らなければ、思わず跪いてしまいそうだ。
統護は《ファーザー》から感じる畏怖を必死に否定する。
画面越しの姿だというのに、圧倒的を超える圧倒的とも形容すべき、おそるべきカリスマだ。
ウリエルが言った。
「ヤツはアメリアのコロラド州の何処かに潜伏している――と推測されていた。だが、お前が大天使ジブリールとの神魔戦で停止状態にあった地球を消し飛ばし、そして復元した際にヤツは復元ポインタとしてメモリしてあった因果素子に『割り込み』をかけた。そうして復元状態を変化させる事により、単身でアメリアからニホンに転移したのだ」
膨大なデータ量にのぼる因果素子の微かな差異に、〔神〕としては不完全な統護は察知する事ができなかった。完全に〔神〕と成っていない統護は、世界の法規をコントロールする演算中枢は己の脳そのものだ。通常、〈創造神〉が創生世界をコントロールする為に構築する代替システムがない。脳機能のキャパシティ内でしか因果素子に干渉できなかったのである。
しかし、統護の惑星破壊現象から無事であった軌道衛星――【魔導機術】を介しての復元への『割り込み』だったので、システムのログファイルに微かな残滓が刻まれていた。そのログ解析によって《ファーザー》がニホンにいると判明したのだ。
むろん堂桜サイドは気が付いていない。解析後にログファイルは全て修正済みである。
「じゃあ、アイツの居場所はニホンなのか」
統護は驚く。ルシアでさえ把握していない新情報であった。
ベリアルが首肯する。
「ヤツの真の目的は堂桜淡雪だ。ニホンが誇る国際的対テロ対策――厳重な水際作戦によって《ファーザー》といえど、なかなかニホンには潜り込めなかった。けれど《隠れ姫君》事件にMMフェスタでのテロ。ヤツは二名の【エレメントマスター】をニホンに送り込む事に成功した。ユピテルの目的はニホンの偵察。そしてセイレーンの目的は、お前に敗北してニホン当局に拘束されたユピテルの奪回。共に果たされたといっていい」
二名の【エレメントマスター】――《雷槍のユピテル》と《神声のセイレーン》の撃破には成功している。しかし潜入と行動を許した時点で、ニホンの対テロ部門の大敗北だ。
事実、【エルメ・サイア】幹部の本土上陸を許すという敗北と大失態を国際社会に晒した責任を問われて、関係部門の幹部数名のクビが飛んだ。
「二度の潜伏を成功させた《ファーザー》が、ついに神魔戦の隙を突き、自らニホンに乗り込んだ。堂桜淡雪を手に入れ、この世界を破壊するまでヤツはニホンから出ないだろう」
すなわち、世界の命運を賭ける戦いの舞台は――ニホンになる。
ミシィ。甲骨が軋む。統護は両拳をきつく握りしめた。
初めて知った。《ファーザー》がよりにもよって淡雪を狙っているとは。
(護る。渡さない。助けるだけではなく、淡雪は――俺が護る)
決意を新たに、闘志を燃やす。
すでに画面内の男に対する畏怖は霧散していた。
「――ようやく巡り逢えたな、俺の宿敵よ」
統護が画面を睨んでいると、画面内の《ファーザー》がこちらを向き、話し掛けてきた。
逆探知される。ウリエルとベリアルがモニタ幻像を消そうとした。
それを《ファーザー》がやんわりと制する。
「遮断は待て。無粋はしないから安心してくれないか、囚われの天使と悪魔よ。口も滑らせないと約束しよう。ただ少しだけ堂桜統護と話がしたいだけだ。ほんの少しだけ、な」
画面越しですら超然とした《ファーザー》の視線を、統護は真っ向から受け止めた。
統護にとっても異存はなかった。
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