第三章 賢者か、愚者か 4 ―統護VSオーフレイム①―
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4
まさかこの工場内で――!?
ドクン、と心臓が跳ねた。思わず視線を回そうとして、統護はどうにか堪えた。
視野を広げて、眼球の動きだけで周囲を見る。
「誰だ? ソイツは」
「すぐに姿を隠した。ラナティアの家の時と同じで、統護には視認できないかもしれない」
締里の声は冷静そのものだ。頼もしいというよりも、今の統護には少し癪に障る。
統護は思い出す。締里が言っていた『黒いジャケットの男』を。
まるで幽霊の様な視えない敵。
不測だった。工場内で敵【エレメントマスター】と遭遇するなど計画パターンには織り込まれていない。いや、遭遇ではなく、相手は自分達をマークしているのだ。締里だからこそ気がつけた。ピンチである。想定外に後手を踏まされた格好となった。
「どうする? 逃げられるか?」
「敵は工員用作業服を着ていたわ。一人だった。一瞬だけ通路の死角からこちらを伺っていた。攻撃されるのはもちろん、通報されるとしても厄介よ。よってプランDをベースに動く」
「分かった。敵は任せた」
統護は覚悟を固めた。締里とはここから別行動になる。
締里は敵【エレメントマスター】を抑える為に、統護から離れて行った。
彼女単身なら心配いらないだろう。超一流の戦闘員にしてプロの特殊工作員なのだ。
問題は素人である統護の方だ。
プランDがベースならば、締里がラナティアに連絡を取って、自分のサポートに向かわせてくれるはずである。工作員として素人のラナティアだが、それでも頼るしかないのが現状だ。
自分に言い聞かせる。敵に分断させられたのではなく、こちらから別行動に移行した――と。
統護は一人になった不安と心細さに耐えながら、合流地点へと急いだ。
合流地点はトイレの個室である。
その中でも、時間帯からして最も使用頻度の低いトイレを選択した。
個室内に身を潜める。ここまで誰にも注視されていない。怪しまれていないはずだ。
緊張感が緩む。狭い空間が逆に統護を安堵させた。安全だと錯覚できる。
発見されて不法侵入で逮捕されれば、ミッションは失敗――計画の全てが水泡に帰す。
締里やラグナス達とは違い、連絡手段がないのが痛い。
逆探知や電波妨害を危惧しての事でなく、統護本人に問題があった。
統護の魔力は【DVIS】を破壊してしまう。
彼の異名でもある《デヴァイスクラッシャー》と呼ばれる異常現象だ。この特異的な魔力性質が邪魔をして、統護は【魔導機術】が組み込まれている機器を扱う事が不可能だ。
よってスマートフォンは純粋な電子機器製を使用せざるを得ない。
だが、この通称『魔法の王国』では、それは入手困難だった。
トイレの水洗すら魔術による水流が使われている場合があるこの王国は、統護にとって相性最悪かもしれない。魔術、魔術、魔術で――改めて本当に不便な国、いや異世界だ。
ふと、ラグナスの言葉を思い出す。
――〝もう一度訊くわ。魔術が使えないアンタにとって、マスコミに『魔法の王国』と揶揄される光景、どう思う? 本当に悪くないって思う?〟――
――〝それじゃあ、今までと何も変わらないッ!! この国は何も変わらない!! アリーシア・ファン・姫皇路にだって変えられないわよ! 私は王家が隠しているレアメタルの秘密を知り、それを楯に、アリーシアと話がしたいのよ。レアメタルに関する利権の全てを民に寄越せとは言わない。それでも歩み寄る事はできる。その交渉をする自信はあるのよ!!〟――
そして締里との会話を。
互いの独断ではなく、二人でポアンに交渉しようと決めた、二人の時間を。
あの時、締里は統護に……
そして、統護は締里に――
「統護、ゴメンね。どうやらヘマやったみたい」
ドアの外からのラナティアの声で、統護は我に返った。
統護は鍵のフックを外し、トイレ個室の外を窺う。このパターンも想定内だ。失敗のケースとしてであるが。素直に身分を明かして、ファン王家――アリーシアに連絡を取るしかない。
(終わった。ダメだったか)
ポアンとの交渉も振り出しに戻る、だ。あるいは、これで不可能になったか。
開いたドアの隙間から、ラナティアの顔が覗いた。
包帯が巻かれて、未だに顔の半分以上が隠れている。出会った時に負った怪我による腫れがなかなか引かないのだ。状況が許すのならば医者にかかるべきだが、今は応急処置のみで誤魔化し続けている。
統護はラナティアの顔を確認し、観念と共にドアを全開にした。
彼女の他に、軍服めいた警備服に身を包んでいる大柄で屈強な男が立っている。
このガードマンに捕まった様子だ。
「ポアンに面会したければ、大人しく表に出ろ、堂桜統護」
意外な台詞。それも二重の意味で。ポアンという目的と自分の名を知られている。
そして統護はガードマンの顔に見覚えがあった。
ラグナスに嵌められて、彼女の仲間を路上で誘拐した時に、統護に立ち塞がった青年だ。
互いに突発的で、かつ幸運にも意表を突けたのでKOできたが、ごく短時間の戦闘であっても彼の強さと資質は充分に肌で感じていた。
「……アンタ、俺を知っていたのか」
青年は首を横に振る。
「いや。俺には東洋人の顔の区別は付きにくい。今も変装しているようだが、あの時との違いがほとんど分からないな。俺がお前を堂桜統護だと認識した理由は――《デヴァイスクラッシャー》だ。まあ、不覚をとった言い訳にはしないけどな。油断も含めて俺の実力だ」
「参ったな。それでマークされていたってワケか」
なんて因果だ。あまりの不運に統護は奥歯を噛み締めた。
極秘でファン王国に渡っていたのに、あの路上で《デヴァイスクラッシャー》を使った、あの時点で、全てが土台から崩れていたなんて……
統護は素直に両手を上げる。
「抵抗はしない。大人しく投降する。ただし身柄の拘束は受け入れない。可能な限り早く王家のアリーシア姫に連絡を取って欲しい。それから堂桜詠月にも連絡を取って弁護士の手配もだ。その状況が揃うまでは黙秘権を使用させてもらう」
青年はニヤリ、と不敵に笑んだ。
「なるほどアリーシア姫に連絡、か。予想通りの展開だ。実は先日、そのアリーシア姫も友人でボディガードのニンジャ姉弟と共に、この工場に極秘視察に訪れてな」
「な!?」
「口を挟むな。最後まで聞け。お前にとっても悪い話じゃないはずだからな。ああ、その前に自己紹介をしておこうか」
青年は名乗る。マウシリオ・オーフレイムという名と、工場の警備態勢と安全管理を取り仕切る防災センター所長であるという現職を。次いで、彼がアリーシアと風間姉弟の視察に随員した件の内容も端的に説明された。
「アンタが、警備関係の責任者」
「そうだ。俺は先日の状況と得た情報から、お前達が工場に潜入する事を予測して待ち構えていた。おおよその目的もな。安心しろ。部下達には知られていない。俺の独断で個人的に動いている。むしろお前達が発見されない様に部下を欺いているから、結果によっては責任をとって辞職する必要があるか。今回の件はアリーシア姫に新しい貸しを作る意味と、俺自身が納得する為だからな。要するに自己満足だ」
統護は理解した。
このオーフレイムという男は、自分にリベンジ戦、いや、あの勝利は正当な勝ちとはいえないから、仕切り直しのリターンマッチを挑むつもりなのだ。
見方を変えれば、不運ではなく、これ以上ない幸運である。
「付いて来い、堂桜統護。時間切れでアリーシア姫には案内できなかった場所――つまりお前達の目的地へ、この俺が特別に連れて行ってやる」
「ありがたいが、職務規程や職業倫理は大丈夫なのかよ」
「その心配も不要だ。個人的に総責任者ロ・ポアン・ゼウレトスに許可を取れたからな。立場上、それなりの関係は築いている。それに、どうやらポアンもお前達が潜入している事を把握している様だ。つくづく謎に包まれている男だな、ヤツも」
「つまり案内はポアンの命令でもあるのか」
オーフレイムは断言した。
「違う。あくまで俺とお前が戦う場所が、ポアンの傍というだけに過ぎない」
統護が勝てば、そのままポアンと面会すればいい。敗者は不干渉を約束する。
逆にオーフレイムが勝ったのならば、統護は不法侵入者として現行犯逮捕される。
その戦い場の提供を、ポアンが個人的に認めた――というだけだ。
断るという選択肢はない。渡りに船といえよう。
オーフレイムが歩き出して先導する。統護とラナティアは彼の逞しい背中を追った。
(本当に渡りに船だぜ)
ポアンの元への案内だけではない。
出来ることならば、統護もオーフレイムと再戦したいと思っていたのだから。
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…
ファン王国が世界に誇るレアメタル採掘工場の中枢。
それが六つに独立された各工場の中心に位置する検査室である。
製錬された原石の最終検査を行う場所というだけではなく、レアメタル管理総責任者の根城も兼ねているのだ。
その外観データは、ルシアでさえ入手できなかった。
出入り口は一箇所だ。
ドーム型の囲いで覆い隠されている敷地内に、オーフレイムは統護とラナティア両名を招き入れた。
統護とラナティアは検査室の全容を目の当たりにしている。
検査室という名称からはイメージしにくい、さながら高級別荘のような佇まいだ。
あくまで四角をベースにした機能的な構造でありながら、洒脱な細工が至るところに施されている芸術的な建築物は、ここが工場内であるという事を忘れさせてしまう。
検査室の外周は手入れが行き届いている洋風の庭になっている。
ドーム状の壁面内ではあるが、中に入ると内壁には南国風の映像が投影されていた。それだけではなく空調機能により、気温と湿度は完璧に制御されており、緩やかに循環している空気には、潮風のような涼風がアクセントとして加えられている。
二階にあるベランダに、その人物はいた。
――《魔法の錬金術師》の二つ名で知られている技術者、ロ・ポアン・ゼウレトス。
博士然と白衣を纏っている彼は、好々爺とした小柄な男である。
履歴書と経歴の概要は入手できてもポアンの画像データは堅牢にガードされていた。それは国家規模での秘匿だ。王国の最重要人物として、テロや犯罪から彼を守る為という名目で。
そのポアンの実像――
これといった神秘性や威圧感はない。やや角張った髪型の白髪はパーマがかかっており、額がM字に広がっている。顎も角張っているが、厳つい印象はなく、逆に柔和である。
白衣がなければ、どこにでもいる六十過ぎの男性――にしか見えない。
ポアンは統護を見つめて、両目を眇めた。
「やあ。期限ギリギリにようやく来てくれたね、堂桜統護くん」
出発から一週間以内というリミットを、統護は思い出す。仮に期限をオーバーしていたとしても、ルシアが再交渉しているだろうと締里は計算していた。希望的予想込みの甘い見立てかもしれないが、想定外の状況が重なったので、二人に期限を気にする余裕はなかった。
「待たせて悪かったな、ロ・ポアン・ゼウレトス」
統護の台詞を、しかしオーフレイムが否定する。
「まだお前はポアンの元には到達していないぞ。俺という関門が残っている」
「そうだったな」
統護は意識をオーフレイムに戻した。彼のお陰でショートカットできたが、その反面、オーフレイムは強力な番人として立ちはだかっている。
統護とオーフレイムが対峙した。
オーフレイムが告げる。
「あの路上での借りを返させてもらおう。たっぷりと利息を付けてな」
上半身の衣服を脱ぎ、筋骨逞しい上体を見せつけるオーフレイム。
統護は納得する。確かに、格闘戦において投げや関節技を警戒するのならば、掴まれやすくなる衣服は邪魔になる。逆に刃物に対しては不利になるが、統護は無手で戦うスタイルだ。
「お前も上を脱げ、堂桜統護」
「なに?」
「その方がより対等な条件になる。それ以上に、俺はお前の肉体を確認したい」
「いいけど、アンタとは違って大した躰じゃないぜ」
性能的に超人化しているとはいえ、統護の肉体はオーフレイムの様にビルドアップされてはいない。マシントレーニングは最小限で、あくまでナチュラルに鍛えている代物だ。
だが、他人に披露して恥ずかしくない躰という程度の自負はある。統護はリクエストに応えて、裸の上半身を晒した。体格そのものは、一七五センチしかない中肉中背である。小柄といっていい。
オーフレイムが統護の肉体に感嘆した。
「ほぅ。着痩せしているのは分かっていたが無駄なく絞られて、磨き上げられている。それでいて肉体そのものは、実質は太くて分厚い。背が低くて小柄ではあるがフレーム(骨格)は申し分ないか。どの様なノウハウがあれば、その様な肉体が造れるのか知りたいものだ」
特に両肩から背中の肉厚が素晴らしい、とオーフレイムは賛辞する。
「さあな。堂桜の血筋なのか、常に鍛錬が組み込まれているアホみたいな日常生活の賜なのか。気が付いていればこの身体になった原因は、実は俺にもサッパリだよ」
「神々しい肉体だ。不思議でさえある。それだけ鍛え上げられているのに、不自然さが全くないのだからな。さながら理想の男像として神に献上される躰――そんなイメージか」
「褒めてくれてありがとうよ。アンタの身体も凄い代物だぜ。近代トレーニング科学の結晶といっても過言じゃない、究極のアスリート体型だろうよ」
当然だ、とオーフレイムは両頬を釣り上げる。
彼の肉体には、サイバネティクス強化や違法ドーピング等の不純物は一切混じっていない。
二人の男が誇る肉体の見事さに、ラナティアは見とれてしまっている。
ACT――という【ワード】と共に、オーフレイムは戦闘態勢に入った。
路上でのコンタクトで目にした【基本形態】が、再び統護の前に発現している。
オーフレイムの左前腕に宿る『紅い炎楯』――その名も《フレイム・オブ・アイギス》だ。
あの時とは異なり、オーフレイムの専用【DVIS】は、左前腕に装着されている籠手である。薄い黒を基調としているシャープなデザインで、防具というよりも装飾品に近いイメージを見る者に与える。
統護は《フレイム・オブ・アイギス》を注視する。
路上での魔術戦闘では、彼の【基本形態】の性能が発揮される前にKOしていた。
統護はオーフレイムとの間合いとタイミングをはかる。
(さてと。じゃあ、あの時が『本当に』不意打ちだったかどうか……)
まずは確認させてもらおう。
統護はボクシングのオーソドックス・スタイルになると、低い姿勢のままダッシュした。
意図して、あの時と同じシチュエーションを演出する。
オーフレイムは左腕の『炎の円楯』で、再び統護の右拳によるダッシュナックルをガードしにくるのか? それならば、あの時は不意打ちではなく、単なる実力の結果だ。
「なるほど。誇り高い男だな、お前は」
オーフレイムも統護と同じボクシング・スタイルになった。
右構え――オーソドックス・スタイルからの迎撃だ。
パンチは左ジャブ。
速度・切れ味・威力、全ての要素がバランスよく備わっている芸術的な左ジャブである。
タイミングはカウンター。統護はヘッドスリップで左ジャブを避けた。
更に踏み込んで右の大砲を狙う――が、二発目、三発目とオーフレイムの左ジャブが連続して統護のステップインを阻んだ。無駄が全くない。
(いい左だ)
ジャブ三つの軌道に込められた意味を、統護は理解する。最初から当たらない事が前提で、その上で統護の前進をシャットアウトするのに最適な、理詰めのパンチだった。
たった三発のジャブで、統護はオーフレイムの高いインテリジェンスを思い知らされた。
間合いが広がる。
統護ではなくオーフレイムが支配する距離に。
オーフレイムは前に出てこない。リーチ差を生かしてボックスする気だ。
統護は満足げに言った。
「これが本来の俺達の戦いってわけか。やっぱりあの時は不意打ちだったようだ」
後味の悪さを払拭できそうだ。
自身が己へ被せた汚名と共に。
「不意打ちは不意打ちで立派な戦法だろう。あの時のKO劇は思い返しても見事だった。しかし、不意打ちでは二度はない。どちらが強いのかも、判定できない」
「ああ。同感だ。あれで勝ったなんて俺も思っちゃいない」
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