第二章 見えない敵 1 ―暴行―
スポンサーリンク
1
ビルとビルの隙間――統護と締里は、監視カメラがない裏路地へと滑り込む。
人目から身を隠すのだ。
統護は締里に、此処が目的地であるニックラウドだと教えられている。
逃走ルートは締里が決めて統護をリードした。任務に就く前に丸暗記しておいた街並みと道路状況から、おおよその監視体制ならばどの場所でも予測できる、と締里は断言した。各所にある監視カメラの優先順位だけでなく、ダミーカメラの見分けまで可能らしい。
統護には無理な芸当である。
どんなにシステムが発達しようが、最終的に人間が判断を下すしかない。よってマンパワーと資金、そして時間の限界からくる穴は、絶対に存在するのだ。
とにかく、これで一息つける。
緊張を解き、統護は背負っていたラグナスを降ろした。
締里に使われた手錠を再利用して、ラグナスの両手を拘束している。
すかさず締里はラグナスの身体検査を始めた。ラグナス達のセーフハウスから脱出する前に取りあげていたのは、ラグナスの専用【DVIS】のみであった。
発見したナイフとスマートフォンを取りあげる。拳銃は隠し持っていなかった。
「……ッ、ぅ」
小さな呻きをあげた後、ラグナスの目蓋がうっすらと開く。
締里はラグナスの左こめかみに、小型拳銃の銃口を押しつけて囁いた。
「声を上げたら、撃つわ。脅しじゃない」
「敗けた以上、煮るなり焼くなり好きにしなさい。抵抗もしないわ」
「潔いのね」
「死ぬ覚悟はとっくに出来ている。それはアンタだって同じでしょう?」
二人の会話に、統護は割り込めない。
今回のミッションが、今まで経験してきた事件と根本的に異なると、身を以て知った。
受動的に対処する分には、統護の戦闘能力と仲間の機転でどうにか誤魔化せていたが、自ら能動的にアクションを起こすには、やはり技能と経験が圧倒的に不足している。
自分一人だけでは【エルメ・サイア】とは戦えない――と痛感していた。
冷めた顔でラグナスが言う。
「私だって統護を撃てって命令を下したし。今ここで貴女に撃たれても文句は言わない」
「もしもあの時、本当に統護を射殺した場合、どうする予定だったの?」
「死体を餌に交渉。もちろん捕らえた統護は生きているって加工画像を全世界にネットでアップしてね。フェイク、ハッタリ、ブラフともいうけど、死人に口なし。画像の加工がバレバレでも構わないわ。その時は私が直接、交渉の矢面に立つつもりだった」
そうなればラグナス個人の人生は色々な意味で終わる。
彼女の覚悟は本物だ、と統護は改めて思った。正直いって気に入らない面がある女であるが、ラグナスはラグナスで譲れないモノがあるのだ。
「堂桜側? それとも」
「ファン王家と現政府側にも両方よ。その場合は、目的を達成しても米軍と国連軍に付け入る口実を与える事にもなるから、少なくとも私は暗殺されるでしょうね」
この内戦の基本骨子は実に単純だ。
ロシアを中心としたソヴィエル連邦の諸国は、反王政派側を応援している。仮にファン王国が共和国制になった場合、いずれロシアに統合・吸収されるのでは、とも噂されていた。裏からソヴィエル連邦が手を引いている――という未確定情報も多数ある。証拠はないが。情勢が王家の現政府側に傾いた現在、連邦諸国は沈黙と中立を貫いていた。
EU(欧州連合)は、最初から最後まで他国の内政には不干渉の構えだ。
対して、状況に加わりたいのが、NATO(北大西洋条約機構)と国際連盟である。
特にソヴィエル連邦と対を成す超大国――アメリア合衆国は、是非とも現政府側と世論に恩を売って、今後の国際交渉のカードにしたいのだ。
「楽観的ね。貴女がインターネットを介して矢面に立って国際世論を揺さぶれば、それはアメリアにとって絶好の好機になる。おそらく情報統制でブラインドされた後に、米軍と国連軍が主導して、反王政側は軍事力で壊滅させられるわよ。早期に投降しなければ……最悪で……」
締里は明言を避けた。統護にも結末は予想できる。内政干渉を許し、他国が表立って介入する事態に発展してしまえば、内戦や内紛といった規模を超えた――戦争になってしまう。
そしてアメリアは『世界の警察と正義』を自称する圧倒的な軍事力を誇るのだ。単純な軍事力だけならば、アメリアは一国で他の全ての国を相手にできる。
薄笑いを浮かべ、ラグナスは肩を竦めた。
「知ったコトじゃない。私はこのクソったれた国を変えられるのなら、笑って死ねるし」
「やり方は問わずに……ね」
「アンタだってファン王国に限らず、体制側の裏や闇は散々知っているでしょうに、《究極の戦闘少女》。今までにどれだけ汚い裏工作に荷担してきた? 私達だって負けない為に同じ手を使うだけよ。文句は言わせない。体制側のアンタ達には……ッ!」
統護は何も言えない。締里が戦場や任務で、血で手を汚さざるを得なかった事は、他人に言われるまでもなく理解していた。
くぐもった小さな悲鳴。
統護たちの意識が、悲鳴の方へ向く。
体格の良い男三名が、一人の少女をこの場所に引きずり込んできた。
無残だ。少女の服は乱暴に引き裂かれており、下着も剥かれて、半裸に近い状態である。
それだけではなく、暴行の跡として――顔に青痣があり大きく腫れていた。
「統護、黙って」
声をかける前に、締里の一言で統護は唇を結んだ。
(アイツ等を見逃すってのかよ……ッ!!)
ラグナスがせせら笑う。
「親日国家とはいってもニホンとは違って、治安はそんなに徹底されていないわ。見える場所は超がつく潔癖だけど、見えない場所は中南米辺りと大差ないの。警官の癒着と賄賂がニュースになるくらい潔癖なニホンの、さらに大財閥のお坊ちゃまな統護には、ちょっとばかり刺激が強すぎる光景かしらね。強姦・殺人・強盗なんて――世界にありふれている現実よ」
締里は無表情のまま首を横に振った。
向こうにいる三名は、統護たちを気にしていなかった。
場所が場所である。互いに後ろめたいのが瞭然な状況ならば、互いに見逃し合おうという暗黙の了解だ。
今は常時ではなく、身を隠さねばならない時。
最善の行動は――彼等の記憶に残る前に、足早に離脱する事だ。
統護とて、それくらいは理解している。
一番体格のいい四十代の男が、少女を羽交い締めにして、片足を上げさせて股を開かせた。
三十代と思われる二人目が少女の口を塞ぎ、愉しそうに乳房を弄ぶ。
同じく三十代の三人目が、正面から少女を犯し始めた。
少女の目から涙が溢れる――のが、統護の網膜に焼き付けられた。
統護の我慢が限界に達する。
「悪い、締里。俺を許してくれ」
返事を待たすに、統護は少女を助けに駆けた。
殴って無力化するのは簡単だった。戦闘能力以前に、完全な不意打ちである。
助けられた少女は、呆然と統護を見つめている。
冷静なのか、それとも未だに乱暴された現実を認めたくないのか……
痣だらけで痛々しく腫れ上がっている少女の顔に、統護はふとデジャビュを感じた。
(何処かで見た事がある?)
締里とラグナスが統護の後ろまで歩み寄ってきた。
ラグナスは肩関節を締里に片手で極められた状態で拘束されている。
統護は深く項垂れて謝った。謝って済む行為ではないが、それでも謝るしかない。
「ゴメン。本当にゴメン。馬鹿で軽率だってのは理解している」
殴り倒した三人と助けた少女。
彼等に不干渉のまま立ち去っていれば、足が付かずに、そのまま締里のプランに沿って行動できた。しかし、係わってしまった以上、彼等を目撃者として考慮して、今後の行動を変更せざるを得ない。
締里は統護を責めなかった。
辛うじて意識のある強姦犯の三人に、締里は手持ちの現金を全て握らせる。
「治療費よ。少ないけど、これが手持ちの全部。もしも余ったら代わりの女を買いなさい」
口止め料になるか――は、定かではない。
だが、口止めの為に殺害などは論外としても、怪我を負わせてしまった以上、彼等が病院あるいは警察に駆け込まずに、このまま泣き寝入りするという保証はないのだ。
虎の子の金銭を失うのは大きいが、今はこれが最善である。
こうなるのは統護にだって分かっていた。少女を助ける前に分かっていたのだ。
「締里、ゴメン。俺、足手まといなだけでなく、こんな……」
「謝る必要はないわ、統護。正直いって私も我慢の限界だったから」
締里は助けた少女に向き合う。
「ご覧の通りに、私達はちょっと訳ありの状況なの。悪いけど、婦女暴行で彼等を訴えるという選択を放棄して、出来れば私達を忘れてくれると助かる」
そう。強姦した側は口止め料で泣き寝入りかもしれないが、強姦された側の少女に、このまま警察に駆け込まれてしまえば、統護と締里は窮地に追い込まれてしまう。
締里に肩を極められているラグナスの顔を目撃されているだけで、相当な失点なのだ。
少女が締里の言葉を拒否した場合――
「訳ありなんですよね? だったら、お礼にウチに来ません?」
少女は意を決した表情をしている。
予想外のリアクションに、統護と締里は顔を見合わせる。
即決できない締里を後押しするように、少女が言葉を重ねてきた。
「心配しなくても、両親は海外に出稼ぎに行っていて、家は私一人だから。それに此処からそんなに遠くないから徒歩でも充分よ」
匿ってくれるというのか。統護は少女の申し出に戸惑うばかりだ。
「それにその女性、顔を知ってるわ。きっと内戦関係のトラブルなんでしょう?」
少女にラグナスの面が割れている――という一言が決定打になった。
内戦に興味がある者ならば、反王政派の中心人物の一人としてラグナスの存在と顔を覚えていても何ら不思議ではないのだ。本当ならばラグナスは彼等に近寄らせたくなかった。しかし統護のみで、妥協点の引き出し交渉ができない以上、締里はラグナスを拘束したまま近寄るしかなかった。
現状は全て、統護の独断が招いた結果だ。
統護は締里に確認する。決定権は締里にある。
「どうする?」
「流れに乗りましょう。オーリャが寝返っている以上、確保しているセーフハウスが知られていないという保証はないわ。待ち伏せされてたり、トラップを仕掛けられていたらアウトよ。だったら、まずはセーフハウスよりも彼女の家にするべきね」
締里は倒れたままの男達に銃口を向ける。
「今回の件はこれでチャラにしましょう。もしも口外した場合、この子をレイプした件も兼ねて、後日、私はどんな手段を使ってもお前達に復讐する」
鋭い警告に、男達が揃って頷く。
こういった状況で微塵も動じていない締里に、彼等は『真っ当な人間ではない』と気が付き、理解と妥協を示したのだ。被害者少女の内戦関係という台詞も少なからず影響しただろう。
彼等は申し合わせたように「絶対、誰にも喋らない」と誓いの言葉を言った。
一番若い男が、恨みがましく付け加える。
「でもよ。俺達だって被害者なんだぜ。その女が売りをやるってから、ホテルに付いていったら、先にシャワー浴びさせた隙に、有り金全部奪って逃げやがったんだからよ」
「そうそう。仕返しにせよ、つい顔を殴っちまったのは悪かったけどよぉ」
「同じ手口でソイツの被害に遭っているの、俺達だけじゃないからな。それに俺達は被害者繋がりで、別に仲間とか友達じゃないし。今回限りの間柄だよ。金だって三人でこれだけなら、割りが合わない。全然、取り戻せていないぜ。治療費だって掛かるしよ。散々だ」
統護は目を丸くした。
少女を見るが、少女は彼等の言葉を否定しない。事実のようだ。
「騙される方が悪いんでしょう。それに女を金で買う男なんて、ロクでもないに決まっているから騙したっていいし。ちょっとドジ踏んで逆にヤラれちゃったけど、お互い様でしょ」
全く悪びれずに、少女はそう言った。
統護は深々とため息をついた。なんて性格だ。首を突っ込んだのは大失態だった。
ラグナスが苦笑しつつ、締里を挑発する。
「甘いわね。その拳銃の出所とアンタの状況を考えると、私がアンタならリスクより口封じを優先して、男達だけじゃなく女も撃っちゃうけど。現金だって取り返せるし」
その言葉に、男達が青ざめた。確かに、警察が調査すれば、弾丸から『反王政派によるトラブル』で結論されて、それ以上の追及は及ばないかもしれない。
「無駄に人を殺すなんて、アマチュアのする事よ」
冷ややかに言い返した締里は、顎先で少女に案内するように促す。
先導する前に少女は、ラナティア・ブリステリと名乗った。
注記)なお、このページ内に記載されているテキストや画像を、複製および無断転載する事を禁止させて頂きます。紹介記事やレビュー等における引用のみ許可です。
本作品は、暴力・虐め・性犯罪・殺人・不正行為・不義不貞・未成年の喫煙と飲酒といった反社会的行為、および非人道的、非倫理思想を推奨するものではありません。また、本作品に登場する人物・団体などは現実とは無関係のフィクションです。