第一章 魔法の王国 6 ―成長―
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ルシア・A・吹雪野は、作業の疲れから眠っている飼い猫を膝枕していた。
飼い猫とはいっても、本物の猫ではない。
自分を猫だと思い込んでいる人間の少女である。年齢は十二才だ。
少女の名は、堂桜那々呼。
資本規模のみならず、その影響力も含めて世界最大企業である【堂桜エンジニアリング・グループ】の根幹事業――【魔導機術】システムの中枢技術を開発・管理する天才児だ。
二つ名は《最凶の天才》。
しかし飼い主であるルシアは「ネコ」とストレートに呼んでいる。
「ただいま、ルシア」
玄関先から青年の声がして、ルシアの返事を待たずに、彼は部屋に入ってきた。
ここは集合住宅――アパートメントである。
所在地はニホンの関東だ。
ただし首都圏から隠れる様に、郊外の片隅にひっそりと建っている。
交通の便は最悪に類する。ニホンの首都――ネオ東京シティの国営中央駅から走っているリニアライナーでしか、アクセスできないのである。区域の駅はそれのみ。電車はもちろんバスも運行されていない隔離地域だ。入居者を募集しても、誰も応募しないだろう。
堂桜財閥の私有地であるこの区域は、そのほとんどが木々に覆われている。歩道の路肩に自動販売機の一つもない。
不動産情報に載っていないどころか、観測衛星の目(カメラ)からも、情報遮断用巨大【結界】――《アブソリュート・ワールド》が常駐起動されて、隠されている。過日、比良栄優季とロイド・クロフォードの両名に、強襲を許してしまった事件を契機に、警備態勢の見直しが実施されて、この《アブソリュート・ワールド》の常駐起動が新たに追加されていた。
一言で表現すれば都会にある秘境、いや魔境か。
アパートの警備態勢は世界最高峰で、堂桜においても存在自体がトップシークレットなのだ。その警戒レヴェルはAAAクラスである。
外観は年代物の二階建て木造モルタルであるが、中身は要塞めいている。
全ては、那々呼の存在を秘匿して、護衛する為だ。
那々呼をネコと呼び、飼い主として振る舞うルシアであるが、堂桜グループの一員としての彼女の肩書きは、特殊部隊【ブラッディ・キャット】の隊長であり、那々呼のボディガードと世話係だ。ただし、彼女の経歴は公称十八才という以外、全てが謎に包まれている。
このアパートの住人は、唯一の例外を除き、全員が若い女性【ソーサラー】――【ブラッディ・キャット】の隊員である。那々呼を守る為のSPとしての住み込みだ。
唯一の例外である青年が、ルシアと那々呼がいる六畳一間に踏み入ってきた。
彼はニホン人とは異なる人種なのが瞭然の顔立ちをしている。褐色の肌にパーマのかかった赤毛。育ちの良さが滲み出ている雰囲気だが、それ故に頼りなくも映る。
「おや? 寝ちゃっているのかい、那々呼は」
「早い帰りですね。まさかバイトを首になったのですか、エルビス」
ルシアは冷たい声音で、青年――河岸原エルビスに訊いた。
とある事情で、エルビスはこのアパートに居候として転がり込んでいた。彼もルシア同様、以前の経歴が綺麗に消されている『訳あり』の青年である。
エルビスは慌てて否定した。
「ち、違うよぉ!! 今日は店主に急用ができて予定外の店じまいになったんだよ」
「声が大きいです。ネコが目を覚ましてしまいます」
「ご、ゴメン」
エルビスは眠り込んでいる那々呼に視線をやる。
幼い容姿だ。赤い猫耳つきカチューシャにやや癖のある赤毛(染めている)。小柄で細身。下着以外は一枚布で頭から被るタイプの検査着のみ。猫系の顔立ちは可憐であるが、無邪気にには映っても、決して知的には見えない。
知的に見えないどころか、彼女が堂桜一族の中で最も濃く堂桜の血を受け継いでいる超天才だと、その外見と所作から気が付ける者は、果たして何人いるのだろうか?
【DVIS】理論を提唱し、そして開発、実用までこぎつけた初代天才と呼ばれる堂桜菜望子をベースとして、近親交配ギリギリの近親婚をくり返し、四代にも渡りその天才性を維持している堂桜の傍系でも異端中の異端だ。いわば血族内においてスタンドアローンの堂桜。
那々呼の血脈によって継承されている頭脳によって、堂桜一族は【DVIS】理論と技術を独占し、一大勢力を誇っているのである。
そして――そんな那々呼を事実上の支配下に置いている、ルシアという謎の少女。
《アイスドール》の異名で呼ばれる彼女は、常に濃紺のメイド服を正装としている。
実際、那々呼の世話係なのでメイドの格好は間違いではない。
そして似合っている。顔立ちは東洋系なのに神秘的な銀髪碧眼が馴染んでいる彼女の美貌は、これ以上なく和装よりもメイド服がマッチしていた。百七十センチを超えるスラリとした長身と、創り物めいた胸や腰の凹凸の見事さは、本職のスーパーモデルを彷彿とさせる。
整い過ぎ――とさえ形容できる貌の造形の見事さは、芸術的よりも工芸的とさえいえた。
ルシアの端的なイメージは、碧い氷と透明度の高いワイングラス。
百七十五センチの統護に対して、百七十センチ台の身長を誇り、颯爽と隣に並んで歩ける、彼に近しい女子は、ルシアと彼女がライバル視している累丘みみ架のみである。
ただし、みみ架は身長がモデル並に高くとも、存在感とスタイルが肉感的過ぎで、着ている衣装を食って本人が主役になってしまう。スーパーモデルめいたルシアとは『美の傾向』が正反対だ。いわば『衣装を印象付ける』ルシアと『衣装の印象を殺す』みみ架である。
他の『堂桜ハーレム』と周囲に揶揄されている少女は、百六十センチ台か百五十センチ後半の身長だ。ニホン女性としては平均的だが、海外基準・世界基準みると、やはり背が低いと言わざるを得ないだろう。
ルシアはスーパーモデルではなく、統護のメイドを自認している。ゆえのメイド服だ。
「ネコは疲れているのです。ご主人様と楯四万締里の調査で」
「まだ二人を発見できないのかい?」
首を縦に振るルシア。ご主人様とは、統護の事である。
「やはり『魔法の国』と形容されるだけあり、ファン王国の魔術的なガードは堅牢です。ネコと【ウルティマ】の性能であっても、容易には追跡できません」
統護の観測および盗撮からの護衛用として飛ばしている超高性能小型ドローンからの信号も、ファン王国側の《アブソリュート・ワールド》の効果により信号が途絶えている。それは予定調和であり、統護のデータは後に回収する手筈だったのだが、あらかじめ現地に潜伏させておいた連絡員からの報告によると、二人は計画から外れての行動を強いられているとの事だ。つまりトラブルに見舞われているのは確実だった。
ゆえに現在は二人の追跡よりも状況の推理にリソースを振っている。
エルビスは六畳一間を占めている巨大モニタの数々と、有線LAN接続されているタワー型のワークステーションPC群を見回した。
那々呼の生活圏であり縄張りな此処――部屋そのものが【DVIS】として機能する。
そしてこの六畳一間は、那々呼の【魔導機術】によって世界最高の疑似的な量子スーパーコンピュータと化すのだ。堂桜一族の軌道衛星【ウルティマ】の全機能も掌握可能となる。
エルビスは表情を曇らせた。
「何でも出来るスーパーウーマンだと思っていた君にも、出来ない事ってあるんだね」
「ワタシは万能ではありませんよ。〔神〕ではないのですから」
「もう二人を信じるしかないのかな」
「信じているのは最初からですよ。その上で、ワタシはワタシでベストを尽くすのです」
統護と締里が極秘でファン王国へ渡った理由――
停止状態から回復しない堂桜淡雪を救う為である。
過日に行われた対抗戦で引き起こされた事件に巻き込まれて、淡雪は『停止』していた。
死んだのではない。脈と呼吸はある。しかしコールドスリープに近い状態で、その身を包む淡い燐光が接触を邪魔して、外部から干渉できなくなっているのだ。
現在、淡雪はこのアパートの地下施設で保護されている。
今回の件でエルビスは知ったのだが、発電・蓄電・蓄魔力管理装置・水道などの生活用設備だけに留まらず、地下にはルシアが管理している研究施設まであるという。
とはいえ、実際に立ち入れるのはルシアと那々呼のみなので、詳細は知り得ない。
エルビスは弱気な声でルシアに訊く。
「大丈夫だよね。淡雪さんは助かるよね?」
今度も、ルシアは首を縦に振った。
「仮に今回のミッションが失敗に終わっても、淡雪が死亡するのではありません。むしろ仕切り直しを視野に入れて、ミッションの中止および二人の回収を考える時期が迫っています」
淡雪に対しての堂桜の研究機関とルシアの見解は一致していた。
生命力と魔力が枯渇に近い状態で、いわば省エネ用のセーフモードに移行しているのだ。
水分と栄養素を摂取できないが健康状態に変わりはない。反面、生命力と魔力の自然回復も微々たるもの――で、状態が『停止』してしまった。
復活させるのには、淡雪に外部から魔力を供給して、深層意識下で眠りに就いている精神にコンタクトを取らなければならないのである。
統護が隠している『禁断のチカラ』――かつて優季を死から蘇生させた【ウィザード】としての能力でも、それは成功しなかった。それはルシアの最終目的に対しても有意義なデータであったが、同時に深く落胆もした。
那々呼の演算能力を駆使し、ルシアは他の手段を導き出す。
対抗戦での件を契機に、ルシアも統護と優季の秘密の全てを知らされていた。ゆえの提案だ。
もう一人の淡雪とも定義できる〈光と闇の堕天使〉と、臨死体験時の精神世界でコンタクトしている優季の意識領域を、淡雪の精神世界の最深部とリンクさせて――淡雪を喚び醒ます。
その為のオリジナル魔術も開発済みである。
シミュレーションも完璧だ。
淡雪のコーティングを突破可能な魔術理論と魔術プログラムの構築は、割と簡単だった。しかし、肝心の魔術使用者に重大な問題があるのだ。
〈光と闇の堕天使〉と超高次元で同一化できて、かつ優季を蘇生させた統護が使用しなければ効果がないである。
統護は《デヴァイスクラッシャー》と呼ばれており、彼が【DVIS】に魔力を作用させると【DVIS】が破壊されてしまう。統護が魔術を使えない理由だ。
リンク用のオリジナル魔術起動時には、ルシアは自身を疑似【DVIS】化して、施術者の統護に代わって魔術プログラムを制御する予定である。これはルシアにしかできない役割でもある。だが、その際に、瞬間的にでも、統護の『魔力に耐えられる』宝玉がどうしても必要になるのだ。
ルシアが言った。
「……理論上ならば、計算が正しいのならば、最高測定値の五倍のパワーがあるレアメタルでご主人様の魔力を二秒ほど耐えられます。ワタシはその二秒が欲しいのです」
「測定値……か」
専門家ではないエルビスには理解が及ばない話だ。
【DVIS】に埋め込まれている宝玉は、規格品だけでも形状と大きさが多種多様である。
宝玉の元となるレアメタル原石には、大きさと密度に関係ない検査基準と魔力への等級がある事は、エルビスも出自ゆえに知っていた。
ニホンに帰化した河岸原エルビスの正体は、ファン王国現国王の第一子――つまりファン王国の王子であった。過去形なのは、彼はすでに王子ではないからだ。アリーシアの異母兄でもある彼――本名・アレステアは、過日の《隠れ姫君》事件で、反王政派に拐かされてアリーシアの敵に回ってしまい、結果として国民の信用を失った。父王の極秘依頼を受けた『何でも屋』の少女――剣戟魔術師オルタナティヴの活躍により、反王政派側から救出されたものの、彼は王子としての戸籍と存在を剥奪されて、身寄りのないニホン人としての隠匿生活を余儀なくされているのが現状だ。今の立場を、アレステア元王子は厳粛に受け止めている。
エルビスはしみじみと呟く。
「不思議だよね。同じ鉱石であるはずなのに、大きさと重さとは無関係に、蓄魔力容量と蓄積可能時間、そして魔力反応性に差が生じてしまうなんて」
ルシアも同意する。
「ええ。その謎は堂桜サイドの研究によっても答えは得られていません。堂桜グループ、いえ、堂桜一族がファン王家との関係を密に保たねばならない理由は、その謎――一点に尽きます」
宝玉の元となるレアメタルは、ファン王国以外の産地からも輸入している。
しかし対外的なポーズとして買い付けているだけであり、ファン王国産以外のレアメタルは宝玉に加工しても【魔導機術】には使用不能であった。
この事実、いや機密を知る者は、堂桜一族と【堂桜エンジニアリング・グループ】専属技術者および専属研究員でも、極僅かなのだ。
ファン王国側に至っては、歴代の国王と世継ぎ候補しか知らない。
「偶然なのか必然なのか……、貴方を居候にしておいて幸運でしたよ、アレステア王子」
「その名はよしてくれ。僕はもう王子じゃない」
ルシアと那々呼でさえ到達できない謎を知る人物は、世界で唯一人だ。
――レアメタル管理総責任者、ロ・ポアン・ゼウレトス。
王国内において《魔法の錬金術師》の二つ名で呼ばれている謎のエンジニアである。
履歴書は入手できるし、確かに実在の人物であるが、映像データが全て抹消されている。
家族構成も不明。年齢と経歴のみしか分からない。
このポアンの品質検査をパスしてからでなければ、レアメタルは出荷されないのだ。
最終検査はポアン一人で行われており、レアメタルの品質と等級はポアンしか精確に測れないという。公開されている検査室の測定装置と空調設備は従来品と変わらないのだが……
そしてポアンの測定技術も病没している先代の検査員から直々に伝授されたものであり、ポアンも次代の検査員にしか、師から受け継いだ技術を伝授しないと公表していた。
ファン王家は、このポアンの存在を国家最重要機密として保護している。
要するに、堂桜財閥における那々呼と同じポジションなのだ。
「このワタシが有する秘匿ラインとエルビスというコネクションを用いても、音声のみでしか交渉できなかった謎の科学者」
後に音声解析を行ったが、なんとルシアの声紋と一致するという不可解ぶりである。
「君がそれをいうかい。君の方こそ謎の中の謎って感じだけど」
口を滑らせたエルビスを、ルシアは一睨みで黙らせる。
気を取り直すように、彼女は言った。
「とにかく。交渉の結果、堂桜統護が直接、受け取れるのならば、ロ・ポアン・ゼウレトスはワタシが要求したスペックを満たすレアメタル――《アスティカ》を極秘で用意してくれる事になりました」
通常の規格品にはない超スペックのレアメタル。今回の為の一品物だ。
ファン王国側にすら内密にできるのならば、という条件付きでの譲渡である。
期限は、統護と締里の出発から一週間以内とされていた。金銭は不要なのだが、ポアン側は取引の証拠を残さない為に、事前のセキュリティ解除等といった便宜をはかってくれない。
統護は締里のリードでセキュリティを突破して、厳重な警備態勢で仕事をしているポアンの元に、自力で到達する必要がある。そして、ポアンから《アスティカ》を入手しなければならないのだ。取引に関する責任は、発覚した場合も含めて、全て統護側が負う。
ポアンはルシア側の事情を理解してくれた上で、自身の領域への不可侵条約を要求した。
その不可侵への約束こそが、《アスティカ》を都合するポアンへの対価といえる。
状況が状況なので、ルシアは条件を飲まざるを得なかった。
エルビスが照れ笑いを浮かべる。
「こんな僕でも、ちょっとでもみんなのお役に立てて嬉しいよ。まあ、ポアンを騙したみたいで、少しだけ気が引けるけどね」
「騙した?」
「だって僕はアレステア王子じゃなくて、エルビスっていうニホン人だもの」
ルシアはポーカーフェイスのまま、深々とため息をついた。
「相変わらず洞察力と想像力が甘い男ですね、貴方は。将来が心配です」
「え」と、エルビスは呆けた顔になる。
「貴方の現在の処遇くらい、ポアンだって知らない筈がないでしょう。その上でポアンはエルビスを交渉の窓口として認めているのですよ。ひょっとして貴方は、老後までこのアパートに居座るつもりなのですか? ネコ――堂桜那々呼と同等のセキュリティに身を置き、影からSPに保護されている貴方は、確かに貴方の父君の意向で、世間を知り、己の個人としての無力さを体験する人生勉強の最中です。今は使えないフリーターそのままですが」
ルシアの台詞に、エルビスは息を飲む。
ようやくアルバイト先が古書堂【媚鰤屋】に決まった事が『仕組まれていた』と、もっとも安全な働き場所だと理解したのだ。
「個人としては無能でも、貴方は為政者としての帝王教育がなされています。アリーシアが王位を継承し、反王政派についた事の国民への禊を終えたのならば、貴方はエルビスからアレステアに戻り、妹王の補佐をするのですよ。長くて十年、短ければ五年以内にも」
震える声でエルビスが言った。
「初めて聞いたよ」
「この件を明かすタイミングはワタシに一存されていますので。今の貴方ならば、少し前とは違い『やった、王族に復帰できるぞ』とバカ面を曝さない――と確信しましたので」
ルシアはエルビスを背中越しに見つめた。
真摯な表情で、エルビスはその視線を受け止める。
「今は聞かなかった事にする。僕はエルビスとして学ばなきゃならない事が多過ぎるから」
「なる程。今はそれでいいでしょう」
満足げに膝元の那々呼へ視線を戻したルシアに、エルビスは微笑みかける。
「まずは一人の男として、彼女――オルタナティヴに堂々と誇れるようになるんだ」
「そうですか」
「それから、君に対してもだ」
エルビスの決意に、ルシアはこの話題を打ち切った。
にゃぁ~~ん。那々呼が眠りから覚めて、大きく伸びをする。
膝枕から飛び起きた那々呼は、勢いよくキーボードにまっしぐらだ。
ルシアは口調を改めて命じた。
「休憩は終わりです、ネコ。シミュレーターでご主人様と締里の状況推察を再開しなさい」
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