第四章 光と影の歌声 28 ―ただいま―
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28
統護は堂桜本家の屋敷に戻ってきていた。
邸宅と呼ぶより屋敷と形容するのが相応しい、和風な外観だ。
あれから……《神声のセイレーン》との戦いを終えて、深那実を探したが、結局、彼女は見つからなかった。学園の訓練用小山に設営していたキャンプ等も綺麗に撤収されていた。どうやら今回はこれでお別れ、という事らしい。
預かっていたスマートフォン用のアクセサリであるが、このまま持っているしかない。
時限式でセキュリティロックが解除されるようになっており、スマートフォンに差し込んで中のデータを閲覧できた。
全て静止画像で――深那実のコスプレ写真であった。
様々な職業、様々な動物のデフォルメ。そしてメカの擬人化……
二百枚以上あり、少しずつ露出が際どくなっていき、最後の方はほぼ全裸に近い。
(あの人、いい年齢してこれを自分撮りしたのかよ)
呆れるしかない。
『統護くんだけへの特別サービス。他の人に見せちゃ駄目よぉ~~ん♡』とのコメント付きだ。
深那実の事だから何か意味があるかもしれないが、今は深く考えたくない。
次に会った時に問い合わせよう。
一度、スマートフォンの端子から引っこ抜くと、再びアクセサリにロックが掛かった。再度差し込んでも、今度はロックが外れない。
統護は首を捻るばかりであった。
「……ま、今はそれよりも、だ」
気を取り直す。
目の前には、威圧するかのような大仰かつ荘厳な正門がそびえている。
すでに夕暮れ時を過ぎており、普段ならば夕食が始まっている。
少し、気後れする。
統護は魔術が使えない。よって自前の【DVIS】で門を解錠できないので、インターフォンの呼びボタンに指を伸ばそうと――
閉ざされていた観音開きの鉄扉が、ゆっくりと左右に展開して道を譲った。
正門から玄関までは三分ほど歩かなければならない。
庭園へと歩を進めた統護を待ち受けていたのは、家司(執事長)の篠塚を筆頭に、上は三十代後半、下は十代後半の家政婦たちである。
十名以上いる事から、本日シフトに入っている者、全員であろう。
すでに齢七十を超えている篠塚文昭は、古くにあった家司を役職として名乗り、他二人いる執事と大勢の女性使用人を束ねる、堂桜本家の日常を管理する重鎮だ。
「……淡雪」
淡雪も搬送されていた病院から帰宅していた。
着物姿の淡雪を目にするのは、随分と久しく感じる。淡く微笑む彼女の顔色はまだ優れない。
家政婦たちも簡素な和服である中、ただ一人、洋風の燕尾服に身を包んでいる篠塚が、恭しく、一歩前に出た。
「通常職務を中断しての総出での出迎え、どうかご容赦下さい、統護様」
「私が許可しました、お兄様」
「そっか……。親父とお袋は?」
淡雪は目を伏せる。
「旦那様と奥様はご多忙な身ですので、どうかご理解を」
「分かっているさ」
失望などない。最初から期待はしていない。
使用人たちは職務として分け隔てなく接してくれるが、自分は紛れもなく――
篠塚が普段は厳しすぎると云われる顔を、優しげに緩めた。
「建前だという事は、この篠塚も承知しております。ご両親は、もう統護様を子息として認識なされていないのは篠塚も実感しております。出奔、ご帰還、そして魔術を失い、次期当主の座が淡雪様に移られた。篠塚などには計り知れない事があったのでございましょう」
「あの二人を責めるつもりも、資格も、俺にはないよ」
本心から、統護は言った。
自分にとっても、この【イグニアス】世界の両親は、声と姿が同一の他人である。父はまだ元の世界との共通点が垣間見えるが、母親はまるきり別人のアイデンティティだった。
相手側にとっても、感じ取っている差異は大きいだろう。その上、統護は【DVIS】を扱えず、堂桜グループの顔に泥を塗っているのだ。
「しかし現実として統護様と旦那様たちに家族の情が交わされていない――。だから私は心配していました。他の使用人達もです」
「心配?」
「そうです。今回の件だけではなく、いつか統護様がこの家を棄ててしまうのではないかと」
統護は息を飲む。
確かに、この異世界に転生した当時ならば、堂桜財閥の庇護がなければ、淡雪のサポートがなければどうにもならなかった。しかし、今ならば……
実際、もう一人の統護であるオルタナティヴは、自らの存在と共に――堂桜を棄てた。
淡雪を見る。彼女は意図して表情を消している。
篠塚は語気を強めて言った。
「無礼を承知で申し上げます。貴方様のご両親は、統護様をご子息として愛していなくとも、彼等なりに統護様を思っております。事実、今回の件でも裏で色々と奔走しております。統護様の認識よりも周囲は統護様が隠しておられるチカラについて感付いております」
「篠塚さんも?」
「具体的には想像できません。しかし空港でのユピテル戦。比良栄優季様の命を救われた時。そして今回のセイレーン戦。ルシアが改竄した戦闘データによる表向きの隠蔽は成功しても、結果から過程は想定できます。加えてオルタナティヴ様と淡雪様の会話もあります。今後は堂桜の各派閥のみならず、世界中の様々な有力者が統護様をマークされる事でしょう」
統護は篠塚の台詞を否定できない。
「そんな貴方様を、ご両親は堂桜の力を駆使して保護しようと、守ろうと懸命になっておられます。打算や堂桜の利益が絡まないとはいいませんが、彼等なりに必死になって」
そうか……と、統護は初めて知った。
両親に好かれてはいなくとも嫌われていない。そして影で行動・尽力してくれていると。
気がつけて良かった。
「うん。教えてくれてありがとう、篠塚さん。俺も親父とお袋をワケあって肉親とは思えない状態だけれど、それでも二人の気持ちには、俺なりに応えようと思う」
素直に言って、統護は苦笑した。
「それから、俺がこの家を棄てるって事はないよ。なんか、こんな風に出迎えられるって事は全然信用されていないみたいだけど。ま、家を空けがちなのは悪いと思っている」
その言葉に、使用人一同が笑顔になる。
そして篠塚を筆頭として、全員が声を揃えて深々とお辞儀した。
「「「「「「 お帰りなさいませっ!! 統護様! 」」」」」」
統護の苦笑が照れ笑いに変わる。
顔を上げた使用人達の表情――
決して職務という義理・義務からの笑顔ではない。
それが嬉しい。
駆け寄ってきた淡雪が、血の気の引いた顔に微笑みを浮かべて、問いかけた。
「お姉様ならば無言のまま平然と彼等を通り過ぎます。貴方はどうしますか? 堂桜統護」
小さく肩を竦めて、統護は歩み出す。
自然に口から出ていた。
「――ただいま、みんな」
帰る場所は、確かに此処だ。
隣を歩く淡雪が嬉しそうに頬を染める。
そっと絡めてくる細い手を、統護は優しく握りかえした。
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…
「……――という流れで事件は終わったんだ」
統護は衛星通信によるフォト電話で、アリーシアに今回の事件を話していた。
篠塚は統護がこのまま帰らないのでは、と危惧していたが、婚約者――アリーシアとの関係があるので帰らないという選択肢はない。
「うんうん。なるほど大変だったね、統護」
優しい表情で何度も頷くアリーシア。
モニタ越しとはいえ、数日ぶりに目にするアリーシアは、ますます美しさに磨きが掛かっている。王女としての高貴な気品と、庶民としての気さくさと親しみが完璧に融合していた。
纏っている王族用の超高級ドレスが、完全にアリーシアの引き立て役に成り下がっている。
最高の女。そんな表現が世界一似合う女性といえよう。
「そして今回もお疲れ様。よく戦ったね」
「じゃあ、こっちはもう遅いし、今夜はこれくらいで……」
統護は話を切り上げて、そそくさと通信を切ろうとしたが。
「ところで……、その情報屋さんって、ひょっとして若い女の人?」
統護はギクリとなる。
ゆっくり落ち着いて話そうとするが、つい早口でまくし立てていた。
「情報屋は情報屋だってば。男も女もない。彼等に性別や年齢は関係ない。それに言っただろう? 情報屋については契約で誰にも具体的には話せないって。もしも話せば信頼関係に関わるし、万が一、お前に害が及ばないとも限らない。お前の為にも言えないんだよ」
深那実との事は秘密にしていた。正確には、言えなかった。
「ふぅ~~ん」
「なんだよ、その目は。疑っているのか? いいかアリーシア。情報屋なんてほとんどが薄汚い浮浪者とかに偽装しているムサい男なんだよ。けれど、そういった情報さえも――」
「あははははは。これ、なぁ~~んだ?」
画面が切り替わった。
統護と深那実が素っ裸で乳繰り合っている――例のシャワー室での映像に。
唖然というか、愕然となる統護。
乳首とか股間には、巧妙にモザイク処理が施されている。できれば顔にもお願いしたい。
アリーシアは笑顔を維持しながら、朗らかに言った。
「この動画ね。ファン王国の極秘回線を通じて、ミナミって人が直で送ってきたんだ」
「ええと……。あれ? あれれぇ?」
頭の中が真っ白になる。
何故だ。みみ架がアリーシアに連絡を取ったのは、統護との約束内容からして、仕方がない処置といえよう。黙っていて後から露見すると、それこそ大問題だ。
だが、どうして深那実本人がこんなモノをアリーシアに?
「このミナミって人、統護と契約した情報屋さんだよね? 薄汚い浮浪者に偽装しているムサい男性には、ちょっと私の目には見えないなぁ~~」
「ちょっと待ってくれ、アリーシア。誤解だから。色々と誤解だから。ってか、そうだ、そうだよ! この後が必見なんだッ! 俺のお前への愛を込めた般若心経が炸裂するから!!」
本当は愛ではなく、恐怖であったが。
アリーシアの笑顔は崩れない。
というよりも、目と口元、表情筋は確かに笑顔を象っているが、統護には鬼に見える。
「般若心経? 愛の? なにそれ」
「いやだから、ほら、ここから先なんだけど――」
動画は、統護がナニを握られた場面で終わってしまった。
「……」
「なにか弁解は?」
重々しい沈黙が流れる。落ち着け。立て直せ。平常心を保つのだ。
山籠もりで空腹状態のヒグマと遭遇しても、決して動転・動揺・恐怖などしなかった。
アリーシアの笑顔を恐る恐る窺う。
(恐えぇ!! 餓えたヒグマよりも遙かに恐いっつーの!)
最高の女のはずだ。そして自分を愛してくれている。自分だって彼女を愛している。相思相愛の婚約者同士なのだ。
(なのに……。どうしてこんな状況に?)
全身から汗が噴き出て、動悸が凄まじい。呼吸も維持できなくなってきた。
小細工はなしだ。直球で勝負しようと統護は決意する。
「弁解はない。言い訳などしない。ただ俺は心を込めてお前に云う。頼むから、たった一言でいいから、心の耳で俺の本心を聞き取って欲しい……」
「……」
精一杯、表情を引き締め、統護は婚約者の王女に告げる。
「――愛している。大好きだアリーシア」
「……」
「どう? ちゃんと伝わったか?」
思わず卑屈になって確認しようとする統護。
アリーシアは笑顔のまま頷く。
「うんうん。これ以上なく統護のどうにか誤魔化したいって気持ちがイヤって程」
心の耳を研ぎ澄ませすぎだ、と統護は頭を抱えたくなった。
失敗した。こうなったら話題転換をダメ元で――
「まあ、なんだ。その。深那実さんとの件は後で話し合うとして。そういえば俺さぁ、お前への婚約指輪を贈るの忘れていたから、買っておこうと思うんだ。どんな指輪が好み?」
ほぅらアリーシアの機嫌よ、戻れぇ!
「首輪かな? ホームセンターとかで売っている犬用の」
「え。お前ってちょっと変わった性癖あるんだな。二人きりならそれも悪くないが」
ワンワンプレイか。ちょっとドキドキだ。
「私じゃなくて統護に付ける必要あるかなって」
「……」
「ちょっと想像してみて欲しいんだ。もしもだよ? 私が統護以外の男性と裸でシャワー室に二人でいたら、統護はどう思う? 統護は私を見棄てる? 見限る? 私以外にも何人も女の子がいるもんね。でもね? 私には統護だけなんだよ」
来たッ! 逆転の大チャンスが。
この機を逃すな。統護は真剣な表情を演出して熱弁した。
「確かに、アリーシアの意志で他の男と裸で一緒だったのならば、俺は他の女の為にも、お前との関係を終わらせなければならないだろう。しかしだ! その卑劣な男にお前が騙されているのならば、俺が怒りを覚えるのは、男の方だ。お前は悪くないッ! そう!! すなわち今回のケースに酷似しているといえよう! つまり批難するべきは騙した方であり――」
「まあ、真面目な話すると、統護がミナミって人に嵌められているのは分かってるけどね」
「――へ?」
「もしも本当に浮気しているんだったら、二人して秘密にするだろうし、こんな意味ありげな映像をわざわざ送りつけてこないでしょうし、明らかに面白がっている代物だし」
「なんだお前、ちゃんと分かってるじゃねえか」
統護は胸を撫で下ろす。
よくよく考えてみれば、本当に浮気したと勘違いしているのならば、もっと感情的かつヒステリックになっているだろう。
アリーシアは作り笑顔を引っ込めた。
血走った目になって、口の端を釣り上げる。額にはくっきりと青筋が浮かんでいた。
ひぃ、と統護の口から悲鳴が漏れた。
「覚えている? 浮気云々じゃなくて――次はないから。次、他の女と変な約束してみなさい。ちょん切るからね――って約束した事を……ッ!!」
やっぱり覚えていやがった!!
恐怖で統護の顔から血の気が引いていく。
アリーシアは画面の外から、とある道具を手にとって、前面に翳して見せた。
それは――裁縫用の大きなハサミである。
「ちょっきん、ちょっきん♪」
ジャコッ、ジャコッ、と二つの刃が擦れる音が凶悪に響く。
「え、あ、うん、ちょっと待った。ちょっと待って下さい。スイマセン。俺の言い訳と弁解に耳を傾けて頂けないでしょうか、最愛のアリーシアさん」
「ちょっきん、ちょっきん♪」
ジャコッ、ジャコッ!
「いやぁ~~。お前の手に似合うのはそんな物騒なハサミじゃなくて、俺が贈る婚約指輪だと思うんだけどなぁ。綺麗で可愛いお顔が台無しですよ? ほら笑顔笑顔」
「ちょっきん、ちょっきん♪」
ジャコッ、ジャコッ!
「は、はは、反省文! いや、お前への愛を込めた詩を手書きしよう!! アイラブユー!!」
「ちょっきん、ちょっきん♪」
ジャコッ、ジャコッ!
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…
MMフェスタでのテロ事件から、数日後。
統護は、淡雪と優季の二人と共に、横浜某所のショッピングモールを散策していた。
ブッキングしてしまった過日のデートの埋め合わせである。
前回とは違い、淡雪と優季はとても仲が良さげだ。
デパートの調理器具コーナーに入ると、優季が統護に言ってきた。
「――統護、ちょっと聞いている? 近々アリーシアがお忍びで一時帰国するって件。婚約者なんだし知っていると思うけど」
「え? 悪いボウッとしてた。あ、それ初耳だ」
帰宅初日の通信から、アリーシアとは音信不通になっている。
結局、最後まで許してくれなかった。ハサミを引っ込めてくれなかった。超恐かった。
機嫌が直るまで放置しかなさそうだが、帰国を黙っていたとなると、割と本気で怒っているのかもしれない。
(……まあ、帰国した際に、婚約指輪を渡せば何とかなるだろ)
他に策もない。苦し紛れに「愛している」を連発した所為か、もはや口先ではどうにもならない状況だ。別に嘘ではないのだが。アリーシアへの愛は言葉ではなく態度で示すしかないだろう。具体的には指輪を贈る以外にないのが頭痛の種だ。
(今は忘れよう。それから後で指輪を買おう。通販……だとバレた時が恐いな。却下だ)
元気を取り戻した淡雪と、ご機嫌な優季は一緒に陳列棚の商品を物色している。
楽しそうだ。
仲が良いのは、良い事だ。
オルタナティヴに託され、自分にとっても特別な――淡雪。
改めてその大切さを思い知った幼馴染みで恋人の――優季。
守らなければ、と強く思う。
これからもこういった楽しい時を過ごす為にも、どんな敵とも戦い続ける。
決して背を背けない。
絶対に――逃げない。
「お兄様は、アリーシアさんにプレゼントを用意しないのですか?」
「俺? 一応、考えているよ」
婚約指輪の他にも用意した方が無難かもしれない。
「ボク達はね、一緒にプレゼントしようって決めてるんだ」
「へえ、なにを?」
調理器具コーナーだから、食器か調理器具であろう。
アリーシアは料理が上手い。再会して機嫌を直せたのならば、また彼女の手料理を食べたい。
「そうだな。俺もアイツに何か買うか」
「わたしと優季さんはコレに決めました」
「見てよ、統護。とってもいい感じだ。持ち手はどっちの色がいいと思う?」
二人が統護に見せたのは――大きな肉切りハサミである。
淡雪と優季は「ニタリ……」と半白眼で邪悪に笑むと、こう口を揃えた。
「「 ――ちょっきん、ちょっきん♪ 」」
ジャコッ、ジャコッ!
統護は一目散に逃げ出した。
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本作品は、暴力・虐め・性犯罪・殺人・不正行為・不義不貞・未成年の喫煙と飲酒といった反社会的行為、および非人道的、非倫理思想を推奨するものではありません。また、本作品に登場する人物・団体などは現実とは無関係のフィクションです。