第四章 光と影の歌声 16 ―オルタナティヴVSセイレーン③―
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様子見の第一ラウンドは終わりだ。
相手の【基本形態】である大規模【結界】の特性も、おおよそは把握できた。現時点で揃っている情報のみからの推察だが。
セイレーンは専用【DVIS】であるハンドマイクをドレスの脇から取り出した。
マイクを口元に構える――が、セイレーンも容易に歌い出さない。
歌い出しから魔術効果が発揮されるまでのタイムラグを、オルタナティヴがピンポイントで狙ってくるのを承知しているからだ。超時間軸での魔術オペレーション合戦ではなく、現実時間を優先して、物理的に突っ込んでくるのが確実である。
推定で一秒半から二秒弱のタイムラグを巡っての駆け引き。
攻撃か。フェイントか。あるいは相手の攻撃を呼び込んで躱してからか……
オルタナティヴは間合いと呼吸を計る。
セイレーンが息を吸い込み、肋骨と横隔膜の微かな動きを察知した。
魔術的なロックオンはない。すなわち――
(来た。歌を始める前兆)
長い時間とはいえないが、寝食を共にして近くでユリを見てきた。そして様々なクセや習慣をインプットしている。
セイレーンは一気に後方へ飛んだ。大きく距離を稼いで着地する。魔術効果発揮には、歌い出しから二秒あれば充分。表情を凄ませて、喉を振るわせる――寸前。
重心を落としたオルタナティヴは、一気に間合いを詰めにいく。
全速だ。もちろん馬鹿正直に真正面からではない。
ステップワークで侵入角度を自在に変幻させて、相手の左斜め前にポジショニングした。
両者の選択は――もっともシンプルな位置取り合戦だった。
(悪いけれど、次は先手をもらうわよ)
機先を制すのに成功した。まだ簡単に『歌』は発せさせない。
それは、もう少しだけ情報を集めてからの展開だ。
格闘主体の近接戦闘に入った。第二ラウンド開始である。
ふぅオウっ! オルタナティヴの右ハイキックが唸る。フェイントなしのやや大振りだ。
狙いは、セイレーンの右後頭部。
「ちぃッ!」と、舌打ちしてバックステップで対応するセイレーン。
このタイミングで歌っても効果発揮までに攻撃を食らう。マイクを懐に仕舞った。
歌い出しの一瞬を突かれた彼女であるが、瞬時に気持ちを切り替えて、更に上体をスウェーする。オルタナティヴの右足を鼻先にやり過ごすのに成功した。
(遅い。そして真っ直ぐに下がったわね)
ミスキックした右足を戻さずに、オルタナティヴは振り切ってその勢いを利用する。軸である左足を中心として、そのまま下半身を捻転させてスタンスを固定させた。
ぐるん。
上半身と下半身が粘り、連動して回り、相手に背中を見せる。
その回転力と肩から腕への円心力を乗せられた左拳が、裏拳として大きく旋回した。
右ハイキックから左バックハンドブローへと繋ぐコンビネーション。
体勢を立て直す為に、上体が振り戻ってきたセイレーンの左側頭部へ、裏拳が強襲する。
セイレーンは左前腕でガードにいく。
(悪いけれど、その腕を骨ごと粉砕させてもらうわ)
オルタナティヴの肉体は超人化している。その上で、更に【基本形態】の付随的機能により身体能力が向上しているのだ。
対するセイレーンは【エレメントマスター】とはいえ、身体は常人である榊乃原ユリのそれである。ダンスの為のトレーニングと【基本形態】による付随的身体強化を加味しても、身体能力には歴然とした差が――
バックハンドブローが、左ガード上に着弾。
ドゴンッ!! という炸裂音に、オルタナティヴの左拳が弾き返される。
音に押されるという奇妙な感覚を味わう。
魔術効果が付加(エンチャント)されていた。【ベース・ウィンドウ】で魔術効果の残滓をスキャンできた。だが、解析を試みても、魔術プログラムが断片的かつ複雑に過ぎる。
へし折るつもりであったセイレーンの左前腕部は無傷。それどころか、まったく体勢が崩れていない。左肩ごしからの視線で、オルタナティヴはセイレーンの目を見た。
相手の目から――余裕を読み取れる。
バックハンドを失敗して、オルタナティヴは中途半端な半身で、しかも上体が泳いでいる。
ギラリ、とセイレーンの瞳が獰猛に細まった。
反射的にオルタナティヴはダッキングした。その頭上を、セイレーンの右拳が通過する。
オルタナティヴはどうにか体勢を立て直して、セイレーンに正対するが、すでにポジショニングの主導権は相手に奪われていた。
「あはっ♪」と、セイレーンは笑いながら――先の右ストレートからの返しの左フックを打つ。
ぐぅぉッ、と切り裂かれた空気が鋭く唸る。
迅い。ボディワークもヘッドスリップも間に合わないか。
右手をセイレーンの左拳と自身の右頬の間に、ギリギリで滑り込ませる。ブロックというよりも腕力頼みの苦し紛れだ。
ズガォッ!! という『轟音』が、セイレーンの左フックを『増撃』させた。
オルタナティヴはこれが魔術現象だと己の電脳世界で理解、解析を開始しても――、時既に遅しだ。魔術オペレーションは充分に間に合ったが、現実世界での対応が間に合わなかった。
驚異的な破壊力のパンチである。
一瞬だが、オルタナティヴの視界がブラックアウト。
右手が右頬にめり込むが、辛うじて直撃だけは回避した。超人的な膂力でガードだけは崩さない。しかしオルタナティヴは左側へと大きく吹っ飛ばされてしまった。
倒れる程のダメージは受けていないが、この攻防で上をいったのは、明白にセイレーンだ。
二人の間合いが再び広がる。
得意げな表情でセイレーンが勝ち誇った。
「惜しかったわね。どうせならば、さっきのお返しがしたかったのに」
「お返し?」
「ええ。諺にあったでしょう? 左の頬を殴られたら右の頬を殴り返せって、ね」
「微妙に間違っているわよ、それ」
オルタナティヴは慎重に間合いを計る。視界を巡らせる。
観客の様子。淡雪と統護の様子。そして、予想内だが警察や自衛隊の鎮圧部隊は来ていない。
あるいは警察と自衛隊は、自分とセイレーンとの魔術戦闘を様子見しているのか。
今の攻防で――『歌』以外の情報はほぼ揃った。
バックグラウンド処理で走らせている【ベース・ウィンドウ】による相手の魔術理論も解析が進んでいる。対応用のサブルーチンの開発と平行して、そのデータも参照していく。
まずは【結界】としての防御機能は非常にベーシックである。
どのような魔術特性による【結界】であろうと、【結界】区域外からの攻撃は自動でサーチそして遮断可能なのは、当たり前である。特に物理攻撃は一切通用しない。
そして【結界】内からの攻撃に対しては、近接戦闘での打撃は有効だった。
オープニングヒットを奪った時、拳に【風】の魔術を纏っていたが、それによって無効化したのは、あくまでセイレーンの前に展開した『音の防御壁』だけであった。
しかし投擲したスローイングナイフは、自動で止められた。
おそらく初速と空気抵抗値、そして発射位置と自身の相対距離から対象物にフィルタリングをかけて選別しているのだろう。無差別認識で問題ない【結界】外とは違い、【結界】内では自動防御設定に細かいパラメータがないと、とても実用に耐えられない。かつて淡雪が締里に背後から狙撃を許したのは、締里の攻撃を淡雪の【結界】でストップさせない様に、自動防御設定外にしたからである。
そして【結界】としての魔術特性――【音】に関して。
大観衆は未だに無音で熱狂している。
彼等が発しているはずの【音】を、セイレーンはこの《ナイトメア・ステージ》に蓄積して自身の『魔術音』として出力できるのだ。
遠距離攻撃魔術である《デッド・エンド・オーケストラ》は、容易に予測できた。
純粋な音撃砲は意外性のないパワー任せの凡庸な魔術とさえいえる。ゆえに対策も容易だった。しかしセイレーンの【音】の魔術は、当然ながらそれだけではない。
左の裏拳をセイレーンのガードの上に当てた時。
拳と前腕が当たった音に、蓄積されていた【音】が上書きされて、反発させられた。
右手のガードにセイレーンの左フックが当たった時。
拳と手の甲が当たった音に、蓄積されていた【音】が上乗せされて、威力が倍増した。
格闘攻撃との併用で、魔術現象のみを超時間感覚で把握しても無駄だった。
これも魔術戦闘におけるセオリーの一つである。
物体が衝突した結果、生じる音という空気の振動に『魔術現象としての音』をエミュレートして、スカラー値とベクトルを逆因果的にコントールできるのだ。
衝突→音発生という原因と結果の因果に、魔術現象である【音】を介入可能な魔術師。
ゆえに『音そのもので音速を超える』事さえ因果をねじ曲げて実現できる。
(流石は【エレメントマスター】といったところかしら)
オルタナティヴは戦闘系魔術師――【ソーサラー】であると当時に、【魔導機術】を研究する学徒でもある。『天才』と称されたのは、研究者として残した功績が大きい。
魔術研究者としての経験と知識と照らし合わせる。《ナイトメア・ステージ》を維持しつつ七万人を束縛して、かつ彼等の声援を【音】として蓄積して自在に操る。その上で、近接戦闘にまで応じて、攻防の中で因果に影響を及ぼすレベルの魔術制御さえもリアルタイムで平行してみせた。概算でも一流の魔術師、三百人は必要になる。
しかも――ここまでで【音】の魔術特性であり、まだ肝心の『歌』を披露していない。
不意に、セイレーンは右足を床に踏み下ろした。
踏み下ろした時の音が、彼女の魔術によって上書き・増幅され、指向性を与えられる。
ビィシィィイイイイッッ!!
床のタイルに亀裂が走り、衝撃刃となってオルタナティヴへと伸びていく。
その音撃の波をオルタナティヴは横っ飛びで躱した。
同時に、すでにマイクを構えていたセイレーンが【ワード】を紡ぐ。音撃刃はその為の牽制であると理解していても、オルタナティヴには阻止できなかった。
「――《デッド・エンド・シンフォニー》」
ついにセイレーンは歌い始める。
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