第四章 光と影の歌声 15 ―オルタナティヴVSセイレーン②―
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まずは小手調べといく。
おしゃべりでは、セイレーンの退屈凌ぎには役者不足であろうから。
予備動作を消して、オルタナティヴは右腕を水平に振るった。
ヒュオォゥ。風切り音は一瞬。
刃に艶消し処理が施されているスローイングナイフが、ステージ下の観客へと飛んだ。
弾丸のような速度で一直線だ。
刃先は男性ファンの額の二ミリ先で、一瞬、停止。そして跳ね返るように戻る。
柄にワイヤがついており、オルタナティヴは指先にくくっていたワイヤで引き戻したのだ。
投擲したナイフとは別のナイフが、セイレーンの眼前で停止していた。
二本目のスローイングナイフは、オルタナティヴが投げたのではなく、《ローブ・オブ・クリアランス》による風で左脇から射出していた。つまり投擲と発射を同時に行ったのだ。
眼前のナイフに気が付いたセイレーンは、小馬鹿にした顔で苦笑する。
「何のつもりかしら? くだらないフェイントで私の意識を余所に背けても、我が【結界】内において、ナイフや弾丸などの物理狙撃は自動でストップするように設定しているわよ」
「ええ。当然そうでしょうね」
魔術現象は純物理現象の上にある。
ましてやこれだけの高度な【結界】ならば、魔術弾による狙撃も通用しまい。
「そもそも人質を救う側の貴女が観客を殺せるはずがないし、殺す理由もないわ。少し驚いたけれどね」
セイレーンはナイフを掴んで投げ返してきた。
それを易々とキャッチして、オルタナティブは懐の隠しポケットへ仕舞う。ナイフ一本であってもそれなりに高価なので無駄にはできないのだ。
そしてナイフによるフェイントと攻撃も無駄ではなかった。
(初手で最低限の情報は得られたわ)
まずは《ナイトメア・ステージ》によって意識を囚われている観客達であるが、個別に反応させたりコントロールするという芸当は不可能のようだ。コントロール可能ならば、あそこまでナイフに対し、無反応ではあるまい。セイレーンが攻撃を視認していたのだ。
これが意味するところは、すなわちセイレーンが観客を操作して自害させられないという事に他ならない。人質を殺すには、彼女が物理的に手を下す必要があるのだ。
七万人を拘束するだけでも莫大な意識容量を消費するのは必至であり、たとえ数百人単位のユニットに区分しても、更に個別認識するのは、いかに【エレメントマスター】であっても不可能なのかもしれない。
人質としては七万人は多すぎるが、全員拘束しないと、拘束外の者に反撃の機会を与えてしまうというのもあるのだろう。
次に、セイレーンの戦闘練度。
あっさりとフェイントに引っかかり、魔術によるナイフ射出を見落とした。
【結界】の自動防御機能が前提とはいえ、簡単に視線を逸らし過ぎだ。ましてや術者の電脳世界――超次元空間内の時間単位で認識可能な魔術現象を、うっかりと見逃したのである。魔術オペレーションでの対応を怠り、【結界】の自律機能まかせだった。自身への攻撃ではないとはいえ、凡ミスに他ならない。
要するに――訓練は行っていても実戦経験は皆無。
加えて、オルタナティヴの二本のナイフについて深く考察したりする事もしない。
戦闘者として浅慮である。
巨大なパワーで力押しするタイプで、技巧や策を巡らせるタイプではないだろう。そう判断すると、セイレーンが奥の手として観客の個別コントロールを隠している可能性も皆無だ。
(さて……と。次は相手の出方かしらね)
オルタナティヴは涼やか、かつ怜悧に微笑む。
その笑みに、セイレーンは不機嫌そうに舌打ちする。
「気に入らない。癪に障るのよ! その顔。その余裕。その……自信!!」
「初の実戦とはいえ、もう少し肩の力を抜きなさい。そうでないとアタシにとっても暇潰しにもなりはしないわ」
「言ってくれるじゃないオルタナティヴ。今度はこちらの番よ!」
堪能するがいいわ!! と、高らかに告げて、セイレーンは大観衆を煽った。
――さあ、このセイレーン様のライヴを盛り上げなさい――
呼び掛けに応え、大歓声が幾重にも連なる。
ぉぉおおおぉおおおぉおおおぉおおおぉおおおおおおっっっっッ!!
ぉぉおおおぉおおおぉおおおぉおおぁぁぁぁああおぉおおおおおおッ!!
ぉぉおおおぉおぉぉおおぉおおおぉおおおおおおッ!!
ぉぉおおおぉおおおぉおおおぉおおおぉおおおおおおおおおおおッ!!
会場が揺れた。
大地震めいた圧倒的な音の暴力であるが、しかしオルタナティヴは怯まない。
(予想通りに、煽動系の精神支配だったか)
魔術特性は【音】――その能力の一つはアジテーション。
肉体を縛るのではなく、精神に影響を及ぼし、そして意図する方向へ誘導するチカラ。
セイレーンの魔術特性からして、声援や熱狂・カリスマ強化といった類に特化している筈。
オルタナティヴは初撃に備える。
相手は【音】と『歌』を司る戦闘系魔術師。想定できる攻撃手段は――
セイレーンが唱う。
「――《デッド・エンド・オーケストラ》!!」
シン。
突如として大歓声が消え、静寂と化す。
しかし声を張り上げ怒号を発している観客達はそのままだ。
音は不可視――そして空気の振動。
七万人分もの声援がセイレーンの魔術により、オルタナティヴの四方八方に装填される。
魔術的にオルタナティヴをロックオン。これで逃さない。
そして一斉発射された。
ぐぅワォぉぉゥゥウッんン!!
凝縮された音によって押し出された空気群の歪曲は、もはや空間圧縮に近い。
圧縮音波の群はオルタナティヴへと殺到する。
超次元展開している電脳世界――【ベース・ウィンドウ】での魔術解析を開始。そして相手が顕現させる魔術現象の結果をシミュレートする。全てが魔術だ。現実時間と有視界は無視できる。演算を終了。軌道を割り出した。対抗する為の派生魔術をセレクトして、【アプリケーション・ウィンドウ】に【コマンド】を入力、かつ各パラメータを微調整していく。一連の魔術オペレーションが超時間軸かつ超視界で行われた。
オルタナティヴは【ワード】を呟く。
「――《リバウンド・エア・クッション》」
殺到する圧縮音波の一部へ、オルタナティヴは《ローブ・オブ・クリアランス》から指向性の空気層を発生させた。
圧縮音波がオルタナティヴの空気層により、反発してベクトルを変えられる。
ベクトルを変えられた圧縮音波が別の圧縮音波と激突。
二つの圧縮音波がさらに反発し合い、方向を変えて別の音波層へと影響を及ぼす――
影響が影響を呼び、連鎖していく。
例えるのならば――ビリヤードのブレイクショットの様だ。
ギジャゴブギャぉぉおグしゃゴゥッ!!
形容不能――怪奇かつ奇抜な音がフラクタルに軋めき合う。
オルタナティヴを中心としたドーム状空間内の音と空気が、暴風雨のごとく混乱し――
ドンッ!! 最後の音が重く鳴る。
砲弾ように黒髪の少女が押し出された。
押し出されたオルタナティヴは無傷である。音反発の連鎖反応でベクトルを狂わされた《デッド・エンド・オーケストラ》は彼女を包み潰すのではなく、背中を押す格好になった。
確かに凄まじい攻撃魔術であったが、オルタナティヴは正確に電脳世界内で対応オペレーションを構築していた。純粋な魔術攻撃としては速度不足だ。
右拳を腰だめに構えて、勢いのままに突っ込んでいくオルタナティヴ。
ギョッと目を見開いたセイレーンは、反射的に【ワード】を叫んだ。
「――《ソニックウェブ・シャッター》!」
「――《エアスクリュー・ナックル》」
セイレーンの【ワード】に、オルタナティヴの【ワード】が重なった。
双方の間の床から『音の壁』が出現する。
下から上への音波が、魔術効果によって音速を超える。空気の振動である音波の速度=音速(零度・一気圧で毎秒約三百三十二メートル)を、音自身が超えるという魔術現象。
物体が音速を超えてる時に発生する衝撃波――ソニックブームを、音そのもので防御壁として発生させたのだ。
対して、オルタナティヴの【風】の魔術はシンプルだ。
拳から前腕部に掛けて超速の空気渦を纏い、セイレーンの『音の壁』を突き抜く。
接触面に、音と空気の対流を起こし、『音の壁』による反発を受け流したのだ。
電脳世界のバックグラウンドで実行し続けていた、相手の魔術理論の解析結果――その一部を活用した魔術効果をサブルーチン化して、付加(エンチャント)している一撃である。
ズガン!
魔術による防御のみで棒立ちだったセイレーンは、オルタナティヴの右ストレートを無防備に近いかたちでもらった。
左頬に拳を直撃されたセイレーンは後方へ吹っ飛ばされ、二歩、三歩とたたらを踏む。
辛うじて踏み留まりダウンは拒否する――が。
ガ ク ン、とセイレーンの両膝が折れ曲がり、上体が後ろによろめいた。
スタンスを拡げて体勢を立て直す。
出血した口元を拭い、セイレーンが顔を歪める。ダメージよりも屈辱でだ。
近接格闘戦では、魔術攻撃とは異なり電脳世界に同期した超時間次元での知覚はできない。
よって格闘戦になると現実の時間感覚で、自身の防御技術に頼らざるを得ないのだ。
「くっ! この女ぁ」
「ユリさんを救うという条件がなければ、この一発で沈めてたんだけどね」
油断し過ぎよ――と、オルタナティヴはクールに挑発した。
「小賢しい真似ばかりしてっ。堂々と戦いなさいよッ!」
「気持ちは分かるわ。確かに圧倒的なパワーね。魔術師としての単純な出力ならば、おそらく貴女が随一。推測だけれど世界ナンバーワンかもしれないわね」
御世辞ではない。オルタナティヴは御世辞が嫌いだ。
魔術戦闘における出力・馬力については――封印解除した淡雪が最高だと思っていた。
しかし【エレメントマスター】であるこの《神声のセイレーン》の魔術出力(パワー)は、体感した限りで淡雪の最大値を凌いでいるだろう。
こんな怪物的な戦闘系魔術師を【エルメ・サイア】が擁していたとは。
淡雪とは魔術特性の差異があるとはいえ、七万人を束縛・魅了し、その上で個々の『声』を触媒として束ねて、この規模の魔術音撃を繰り出し、なおかつ自在にコントロールできる。
おそるべき資質と才能だ。
ロングレンジにおいてのパワー対パワーという構図ならば、セイレーンは封印解除した淡雪を倒せると判断した。
オルタナティヴは再び微笑む。
(あくまでパワー対パワー、――ならね)
オーバーパワー、そしてオーバーキルは美しくない。
魔術戦闘に限らず、戦いに勝つという事において――彼女は知的かつ効率的を理想とする。
無駄に大きな出力と不必要な手段は、無才の証。
最小の出力かつ最大の効率で勝利条件を確定させるのが、オルタナティヴの目標だ。
拳と拳の戦いで蹴りを使えば――倒しても負け。
拳と蹴りの戦いで投げを使えば――倒しても負け。
拳と蹴りと投げの戦いで武器を使えば――倒しても負け。
拳と蹴りと投げと武器の戦いで魔術を使えば――倒しても負け。
相手にない手段に頼るのは――結果はどうあれ敗北。
だたし、あくまで『彼女にとって』である。
だからオルタナティヴは『封印解除』を嫌い、封印解除を封じている。
あれは――戦闘者としては美しくない。
そういうチート(反則・インチキ)に頼るのは、無才な弱者の逃げ道に過ぎない。
むろんチートに頼るしかない弱者を否定するつもりはない。しかし彼女はそう在らない。
強く在りたい。
彼女が【基本形態】において基本の四大要素を等しく扱うのは、相手の使用エレメントに対して、可能な限り同系統で応戦する為なのだ。
相手よりも少ない手札で、戦略的かつ知的に相手を制するのは、この上ない勝利だから。
かつて『天才魔術師』の名を欲しいがままにしていた少女は凛と告げる。
「……悪いけれど、いくら圧倒的でもパワー一辺倒じゃこのアタシには通じないわ。このままだと暇潰しにもならないわよ?」
その挑発にセイレーンは薄笑みを返した。
「いいでしょう。ならば単純な音撃ではなく、私のライヴの神髄――聴かせてあげるわ」
オルタナティヴの笑みが深まり、切れ長の両目が細まった。
虚勢でないのは分かっている。
最初から――セイレーンの力がこの程度だとは、微塵も思ってなどいない。
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