第四章 光と影の歌声 6 ―楽屋―
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晄は控え室内で固まっていた。
身の置き場がない。
当然ながら、周囲には他のエントリー者で溢れている。
どうしてこんな人が多い場所に自分は来てしまったのか。恐い。他人が恐ろしい。幸いなのは、誰も晄に興味などない事だ。
――誰もが真剣であった。
歌う曲の最終チェックに余念がない者。レッスンを受けているプロダクションに連絡を取っている者。瞑想している者。緊張に抗おうと祈っている者。そして――余裕の表情でリラックスしている少女が一人。
(あの人がグランプリに内定している人……ね)
音楽業界の情報を少しでも探っている者ならば、公然の秘密といっていい。
オーディションを開催している【堂桜・ワールドエンタティメント】が、数年来で育成している秘蔵っ子のお披露目である。
事実上――他の純粋な参加者は、準グランプリ以下を競う当て馬なのだ。
晄とて、その程度は承知している。
グランプリ内定者に敵うなどとは思ってはいない。なにしろ内定者は【堂桜・ワールドエンタティメント】の英才教育を数年に渡って受けているエリートなのだ。
(ううん。エリートなのは他も同じ)
晄を除く全員が勝負師の貌になっている。
知っている顔もチラホラ。オーディション参加経験のある者。ネットで高評価を得ている者。晄の知る限り彼女達は、経歴詐称でなければ、プロのレッスンを受けているはずだ。
発声練習こそしていないが、歌詞の確認やリズム取り、あるいは身体を動かしてアップしている者が大半だ。そうでなければヘッドホンからの音に意識を集中している。
晄は落ち着かない。
逃げたい。誘惑が襲いかかってくる。このまま走り去ってしまいたい――
そうしてまた、一人で歌い、遠くから褒めてくれる優しいファンだけと、ひっそりと、こぢんまりと……
「ねえ、あの子。HIKARIじゃない?」
その声にギクリとなった。
晄は控え室の隅に身を寄せて縮こまる。背中を向けて祈るように壁だけを見つめた。
まさか自分を知っている者がいようとは。
他の声も聞こえてくる。耳を塞いでしまいたい。
過去のオーディションでの失態。
ネットでの高評価とスカウトの噂。
技術的な批判意見。
信者めいたファンを集めてのカルトじみたストリートライヴ。
晄とて知っていた。
批判意見は。
でもアンチの意見なんて相手にする価値ない。
所詮はネットの書き込みだ。
そんなの無視してやればいい――
(だって、私の歌が下手くそなはずなんて、ない)
アンチが間違っている。私は間違っていない。
「地区予選免除で主催者側からのゴリ押しで、決勝からの飛び入りだってさ」
「ひょっとして出来レース?」
「たまったものじゃないわよね。こっちは地区予選、準決勝と必死に勝ち抜いてきたのに」
「あの子ネットじゃ、ちょっとした話題だしね。話題性狙いじゃないの?」
「売れることは売れるでしょ。それだけだろうけど」
「聴いた事あるけど、まさかあの子、あれで歌のつもりだったりして」
「あのカラオケに毛の生えたような歌い方でぇ? メジャーデビューしても恥かくだけ」
「バッカじゃん。いや、バカだからこの場にいるのか」
「ヘッタクソな我流のアレを歌とかいうのやめて欲しいわね。こっちが恥ずかしいわ」
「耳の腐った信者はともかく、まともな音楽ファンには評価最悪だったはず」
「真っ当にやっている私達が興醒めするっつーの。純粋に実力勝負じゃないの? ムカツク」
敵意に満ちた罵倒が、次々と耳に飛び込んでくる。
全身が震え、大量の汗が噴き出た。
覚悟していたはずだった。統護にも云われていた。予選を飛ばしての決勝だから他の参加者から白眼視されるのは必至で、またアンフェアな手段に頼った以上当然の事であると。
しかし。
批判と不満を歌でねじ伏せる――つもりだった。
(無理だよ、統護くん)
帰ろう。辞退しよう。そして、もう歌は――辞めよう。
ストリートシンガーとしても引退だ。元々趣味だったのだ。
自分は将来、立派な【ソーサラー】になるんだ。家族の期待に応えるために勉強しなきゃ。
踵を浮かし、出口へ向かおうとして、
統護の笑顔が脳裏にフラッシュバックした。
胸がズキンと痛む。張り裂けそうだ。ここで逃げたら――彼はどんな顔をするのだろう?
統護の事だ。自分を責めたりしない。顔にも落胆や失望は出さない。
「でも……堂桜ハーレムは失格だよね」
晄は呟く。統護の傍にいる女の子達は、ただの一人だって困難や闘いから逃げたりはしない。
だから逃げたら――もうハーレムには加われない。彼の傍にはいられなくなる。
世界に歌を届けるなんて、とんだ思い上がりだった。
「……だけど統護くんには、届けたい」
自分の歌を。たとえこのオーディションでの歌が、自分の最後の歌になろうとも。
統護の為に、彼の為『だけ』に、真っ白な気持ちを込めて歌う。
もう雑音は聞こえてこない。ステージ衣装に着替えて、集中力を高めなければ――
晄の双眸から恐れが消え、決意の光が宿った。
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