第四章 光と影の歌声 2 ―顔見せ―
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統護は晄の様子を観察していた。
自分の挨拶回りに、彼女を引きずり回す必要はない。しかし本番前の晄を一人にしておいてプラスになるとも思えなかった。
同じ『ぼっち』気質をもつ統護には分かる。
確かに一人だと身体は休まるが、本番前のプレッシャーで神経が参ってしまうだろう。
それに、こうして少しでも大勢の他人に慣れさせたかった。本番では大人数の視線が晄に集まるのだ。
(というか、俺も気疲れしているけどな……)
統護自身も本音をいえば、もう帰宅して一人で休みたい心境である。
それ程の人数と密度だ。
「次はどのブースに行くの?」
晄に訊かれ、統護は気を取り直した。
彼女に気疲れしていると悟られるわけにはいかないし、何より次の場所は特別である。
統護は笑顔で答えた。
「【SHINONOME・カンパニー】だよ」
「シノノメ? 東雲よね。ひょっとして生徒会長の?」
「ああ」と、統護は頷く。
統護たちが通う【聖イビリアル学園】高等部の生徒会長・東雲黎八の家族――東雲家が経営している【SHINONOME・カンパニー】は、世界第一位のシェアを誇る【AMP】製造メーカーであった。
流石にシェア世界第一位の【AMP】メーカーというだけあり、【SHINONOME・カンパニー】のブースの人集りは、他のブースの三倍近い人口密度であった。
割り当てエリア一杯に詰まっている人集りから伝わってくる熱気も半端ではない。
マスコミも相当数、群がっている。
「じゃあ、また悪いけど」
統護が晄に断って、【SHINONOME・カンパニー】のお偉方に挨拶に行こうとした時。
「――その必要はない、統護」
詰め襟タイプの学生制服を、几帳面なほど型通りに着ている長身の少年がそこにいた。
トレードマークでもある彼の銀縁メガネが、彼の専用【DVIS】だと、統護は知っている。
レンズ奥の細めの双眸は、理知的な輝きを帯びていた。
「会長。やっぱり忙しそうだな」
「忙しいのは繁盛している証拠だ。ありがたい話だよ」
統護が会長と呼ぶ、神経質そうな表情がデフォルトになっている彼は――東雲黎八。
親しい友人であり、【聖イビリアル学園】高等部の生徒会長である有名人だ。
黎八が言った。
「親父殿たちに挨拶する必要はない。ボクが代理を任された」
「そうか。気を遣わせたか?」
黎八は晄に視線をやる。
その視線に、晄は統護の背中に隠れてしまった。
「おおよその事情は聞いていたが……、今回もまたお前らしく厄介な事件に関わっているな」
友人二名――黎八と証野史基には、大枠の事情は説明してある。彼等ならば打ち明けられると判断しての事だ。
「別に厄介でもない。午後の公開オーディション、来られるか?」
「悪いが、跡取り息子としての営業と勉強があるから無理だな」
「そうか。残念だ。……ま、跡取りとして蚊帳の外の俺には分からない苦労だな」
「お前は堂桜の跡取りとしてよりも、もっと別の闘いがあるだろう?」
表情を引き締めると、黎八が声を抑えて口添えする。
「このMMフェスタ。何かあったらボクに連絡しろ。その時は何よりも優先して力になる」
「分かっている」
「特に史基がいないし、史基に任されているからな。お前をサポートするのはボクの役目だ。例の『堂桜ハーレム』とやらも今は散開している状況だろう?」
「そうだな」
史基はみみ架と一緒に、体育祭で行われる対抗戦の準備作業に取り掛かっている。つまり、みみ架もこの場に不在である。アリーシアと締里は離脱中で、復帰時期は不明だ。
ルシアはこのビッグサイト内にいるかもしれないが、連絡がつかない。
残りの面子は淡雪と優季になるが――
「はぁ~~い!! あ、写真はNGですからねっ」
聞き覚えのある声が、人集りの向こうから響いてきた。
張りがあり通りのよい声色は、間違いなく優季のものだ。
統護と黎八は顔を見合わせる。
「写真はNG?」
「まさか……、比良栄さんはコンパニオンでもしているのか?」
優季とは【比良栄エレクトロ重工】のブースで顔を合わせるつもりであった。淡雪も彼女と一緒のはずで、その時に話をしようと思ってもいた。
「とりあえず確認に行けばいい。ボクはもう戻る」
「ああ。そうだな」
「もしも比良栄さんがいたのなら、よろしく伝えておいてくれ」
黎八はブース内の人波を掻き分けて戻っていった。
あの中を特攻しなくて済んで幸運だったな、と統護は改めて思った。
統護と晄は【SHINONOME・カンパニー】のブースから離れて、優季の声が聞こえてきた方へと急ぐ。
人口密度が偏っていたので、【SHINONOME・カンパニー】のブースから離れると、すぐに移動は楽になった。と同時に、別の密集地帯が目に飛び込んでくる。
全員、男性である。
その人垣に晄が気後れしたので、統護は彼女の手を引いて人垣の中心を目指した。
彼等が注視している光景を確認して、統護は唖然となる。
バニーガールに扮している優季が、にこやかにパンフレットを手渡ししていた。
その横では巫女装束の淡雪もいるが、バニーガールの破壊力で存在感は今ひとつである。
優季専属の執事であるロイドもパンフレットを配布している。
若い女性客に人気のようだ。どうやら本職ではなく執事のコスプレイヤーと勘違いされている様子である。
統護の視線がバニーガールに吸い寄せられた。
(エロい……な)
ギリギリの面積の黒いレオタードに、艶めかしい足を引き締める網タイツ。レオタードが創り出す、ボリュームたっぷりの胸の谷間。兎さんイヤー付きカチューシャに、明らかに履き慣れていないハイヒールがツボだ。
健康美でありながら、女の色気も充分な優季の肢体に、統護は生唾を飲み込んだ。
男性客が群がり、釘付けになるのも道理である。
(風呂場の裸よりもエロい。今度二人きりの時にあの格好をしてもらおう)
「……不埒で邪な考えを抱いていないだろうな、堂桜統護」
冷めた声が、統護を現実に引き戻した。
見ると――まだ幼さを濃厚に残しながらも、それを圧倒的な理知性でコーティングしている児童が統護の横にいた。意志の強さを全身から発露している彼は、苦々しく頬を歪めている。
統護は小学生高学年である彼を知っていた。
名は、智志。
比良栄――智志である。事実上の【比良栄エレクトロ重工】のオーナーであり、優季の異母弟である。智志は小学生にしてビジネススーツを違和感なく着こなしていた。
「そういえば、直接会うのって初めてか?」
「ああ、そうなるな。堂桜統護」
雰囲気と服装だけではなく、口調も大人びている。
「【HEH】のブースに行ったら挨拶するつもりではいたけどな」
「その必要はないな。優季姉ちゃんから外枠だけだが事情は聞いている。だから手間を省く為に俺の方から顔を見せに来たってわけだよ」
「感謝するよ。……で? 帝王学の方は順調か?」
現在の【HEH】は、経営陣を堂桜関係者で固めて経営改革中であった。
堂桜による帝王学・経営学を収めた智志が、法的に【HEH】を継げる年齢になれば、正式に智志体制の新生【HEH】となり、堂桜財閥と協調する――という契約になっている。
智志は事もなげに答える。
「問題ないな。もっとペースを上げても大丈夫だ。拍子抜けしているくらいさ」
虚勢ではなく自信に満ちている。
流石にルシアが目を付けただけあるな……と、統護は感心した。
智志は冷たい視線を統護に突き刺す。
「色々と情報は入ってきているよ。たとえば『堂桜ハーレム』とかいうふざけた言葉とか」
「スマン。面目ないってか、言い訳の言葉もない」
「ハ。やっぱり姉ちゃんだけを選ぶつもりはない――ってか。まあ、当の優季姉ちゃんが納得して幸せそうだから、俺は余計な口は挟まないがな。とはいえ、お前、仮に優季姉ちゃんを泣かせたり不幸にしてみろ。どんな手段を使っても殺すからな」
脅しではなく本気の口調に、統護は神妙に頷いた。
「分かっている。肝に銘じておくよ」
「ならいいさ。自分の為に他の女を切り捨てるようなお前は嫌だって、優季姉ちゃんも言っていたしな」
「アイツらしいな……」
「姉ちゃんは辛い苦しみを背負わされてきた。だから誰よりも優しいんだ」
「知ってる。そしてそれがアイツだけじゃないって事も。優季が不幸自慢したり、他のヤツの苦しみを自分の事と同等に思えるヤツだってのも。お前に負けないくらい知っているさ」
だから最近の優季は率先して、皆のパイプ役を買って出ようとする。
そんな優季だからこそ――不安定な淡雪を任せられるのだ。
二人の男の会話を、晄は複雑そうな顔で聞いていた。
「あ! 統護~~!! 智志~~!!」
パンフレットを配り終えた優季が、二人を見つけて駆け寄ってくる。
ハイヒールのせいで、少し足下が危なっかしい。
優季の後ろから淡雪も付いてきている。彼女の手には、まだパンフレットが残っていた。
智志がつぶらな笑顔になる。
「優季お姉ちゃんっ。お仕事お疲れ様」
先程とは口調が変貌し、年相応というよりも年齢よりも幼い感じになっていた。
「えへへ。どうにか配り終えたよ」
「凄かったよ、お姉ちゃん。人気あったし。僕、尊敬しちゃうよぉ~~」
キラキラと瞳を輝かせる智志に、統護の頬が引き攣った。
(こ、この糞ガキ……)
優季から聞いていた『お姉ちゃん子の弟』を目の当たりにして、戦慄する。猫かぶりにも程があるを通り越している。
「智志。初めて会う統護はどうだった?」
「うんっ。お姉ちゃんの恋人だけあって、統護お兄ちゃんは優しくて頼りになる人だね。僕、すぐ好きになったよ」
「よかったぁ。仲良くしてね」
「もちろんだよ」
統護は鳥肌が立った。全身を掻きむしりたくなる。
「お勉強も凄く大変で。だから今日、お姉ちゃんの顔が見れて、僕、元気になった」
「もう。甘えん坊さんだなぁ、智志は」
「お姉ちゃん大好きっ」
「ボクも智志が超大好きっ!」
統護は朗らかに抱き合う姉弟から、そっと視線を外した。
晄は智志の変貌ぶりに、全身を細かく震わせていた。
「挨拶回りお疲れ様です、お兄様」
淡雪と視線が合う。
彼女は先程からずっと統護を見つめていた。統護も気が付いていた。
「本当に顔を見せているだけだ。親父や他の連中も回っているし、俺は格好だけだよ」
「御免なさい。本来ならば私が……」
「気にするな」
冴えない表情で淡雪は晄を見る。
「その方が」
「ああ。晄だ。宇多宵晄。午後からのオーディションに参加する」
「ええと、は、ははぁ、初めましてぇ。う、宇多宵です」
声が裏返っていた。初対面の淡雪に対して、相変わらずの対人スキルを発揮する晄。
淡雪はたおやかに自己紹介を返す。
「初めまして。堂桜統護の妹――淡雪と申します」
晄と会話する淡雪を、統護は遠い視線で見守るしかなかった。
――このビッグサイトには、榊乃原ユリに帯同しているオルタナティヴがいる。
統護は晄をユリに引き合わせる約束をしている。
その時、統護はオルタナティヴと顔を合わせる事となる。恐らく、彼女は二度と統護に会うつもりはなかっただろう。統護は漠然とそう感じていた。
だが、統護とオルタナティヴは会わざるを得ない状況になっている。
その時、統護とオルタナティヴは白々しく初対面の他人として互いに振る舞うのだろう。
けれど――淡雪は?
淡雪は近くにいるオルタナティヴに対して、どう思っているのだろうか?
逢いたいのか。
距離を置いたままでいたいのか。
それが分からないから、統護は淡雪と一緒にはいられない。
淡雪とオルタナティヴ。
オルタナティヴと淡雪。
二人の関係に入り込んではいけないと思うから、この会場では淡雪とは居られない……
今は淡雪と距離を置くしかない。
…
深那実は西展示棟の片隅にいた。
統護に用意させた『山崎洋子』という一般人の入場許可証で行動している。
容姿もウィッグと化粧で巧妙に化けていた。
彼女が遠巻きに眺めているブースは、【堂桜エンジニアリング・グループ】の系列であってもベンチャー企業に近い小さな会社である。孫請け以下の零細だ。
ほとんど観客のいない閑散としているブースを見つめ、深那実は呟いた。
会場を駆けずり回って、ようやく発見した。
「――ここがビンゴっぽいわねぇ」
思わず頬が緩む。
展示されているモノからして、今回のMMフェスタの真の目玉は、此処に違いない。
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