第三章 姉の想い、妹の気持ち 13 ―心は傍に―
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夜風が強く、ジャージだけでは肌寒い。
姉妹は先程の戦闘の跡地をゆっくりと散策していた。
美弥子はやや先を歩く妹に訊く。
「……それで堂桜くんについてのマジな話って?」
その声音には、警戒心と反発心が絶妙に混じり合っている。
満天の夜空を仰いで深那実が言う。
「姉貴ってさぁ。割とマジで堂桜統護に入れ込んでいるみたいだから確認するけれど、姉貴は以前の堂桜統護と現在の堂桜統護、どちらを『本物』って思っているわけ?」
言葉を詰まらせる美弥子。
振り返った深那実の双眸は、姉を値踏みするかのようだ。
「気が付いていないわけじゃないよね? 堂桜の次期当主で天才魔術師であった堂桜統護と、魔術を失い《デヴァイスクラッシャー》となった堂桜統護が別人である――程度は」
美弥子が反論する。
「でも姿カタチに声色。声紋、指紋、網膜識別にDNAをはじめとした生体データまでが完全一致しているのよ?」
「していない」と深那実は断じた。
嘘、と美弥子が溢す。
「声紋、指紋、網膜識別にDNAをはじめとした生体データは、堂桜一族によって改竄されている可能性が極めて高いわ。一致しているのは、姿カタチと声色のみよ」
「どうして」
なおも食い下がり、事実から目を逸らす姉に、深那実は明言する。
「――入れ替わっているのよ。二人の堂桜統護が」
「だとしたら、いったい何が目的で!?」
声を荒げた美弥子に、深那実は感情を排した言葉で言い返す。
「元の堂桜統護が失踪した時期に何かがあったんでしょうね。帰ってきた堂桜統護は、あまりにも元の彼とは差異があり過ぎるわ。魔術の有無に、超人化した肉体に――《デヴァイスクラッシャー》ときて、更には【エレメントマスター】を倒した謎の強大なチカラときた。公開している戦闘映像では上手くはぐらかせているけどね。まあ、最初から似せたり真似たりする気は、皆無といっていいわ」
それに統護が垣間見せる体術と技法の片鱗は、近代トレーニングで身につく代物ではない。
ボクシング的な近代格闘技術で上辺を偽装しているが、彼の戦い方の本質は……
「だから今の堂桜くんが入れ替わる目的は!?」
「それを探るって意味合いでも、私は堂桜統護と契約したのよ。二人目が一人目に取って代わるにしてはお粗末に過ぎるし、魔術を使えなくなるなんて設定は無意味もいいところ。いえ、デメリット以外の何物でもない。それに堂桜側の極一部――少なくともデータ改竄に荷担した連中は、堂桜統護が二人存在している事を把握していないはずがないわ」
美弥子は悲痛な声を漏らす。
「今の堂桜くんは偽物なの? 彼は変わったのではなく、最初から別人だから……」
あえて『一人目と二人目』と表現した深那実は、冷たい双眸で姉を見据える。
「やっぱり……姉貴は今の堂桜統護を『偽物』だと勘づいていたのね」
小さく、しかし明白に美弥子は首肯した。
憂いを帯びた姉に、深那実は薄笑みを投げかける。
「いやいや。姉貴の杞憂を否定してあげましょうか。偶然にも彼に接近できて、彼の懐に入れたけれど、これまで接した感じからして彼自身は『自分を堂桜統護と認識』している状態なのは間違いないわ。そもそも元の彼を演じるつもりもないし、彼は強固に堂桜統護として存在している。偽物じゃない。だから私は『二人の堂桜統護』と言ったのよ」
その台詞に美弥子は安堵しなかった。
それどころか、美弥子は大きく息を飲んだ。
「まさか……。今の堂桜くんは【魔術人格】!?」
ニヤリ、と深那実は笑みを濃くする。
「流石は名門【聖イビリアル学園】の魔導科教師サマ。発想がそこにいくかぁ」
「だ、だって。【魔術人格】の付与なら堂桜くんが魔術を使えなくなった事にだって――。そして実験に失敗してしまったから、元の彼も失われている。これで辻褄が合うわ!」
狼狽も露わな姉を、深那実は冷静な口調でたしなめる。
「ったく、落ち着きなさい。冷静に堂桜統護の状態を思い直しなさいな」
美弥子が口にした【魔術人格】とは。
俗に、二重人格(多重人格)と呼ばれている精神疾患をご存じだろうか? 同一人格とは、統一性・連続性を持っている事が大前提となる。しかし精神的な障碍によって、この統一性・連続性を保てなくなり、同一人において全く別の人格が交互に顕れてしまう現象だ。別の定義で『交代意識』ともいう。
多重人格にも様々なケースがあるが、基本的には同一人の脳機能のみをベースとした派生人格だ。何故ならば、言語や常識といったベースは共通・共有しているからだ。
その多重人格における派生人格に目を付け――魔術的処理による完全な別人格の生成を試みたのが【魔術人格】である。
精神疾患の結果ではなく【魔導機術】によって意図的に完全別人格をコントロールできるのが最大の強みとされている。完全無欠の精神性を保持する【ソーサラー】の創造が目的だ。
「未だに成功報告のない魔術兵器の一つよね。なにしろ生成した【魔術人格】に魔力総量と意識容量の九割以上を持っていかれるのだから」
この配分のアンバランスさによって、元人格に多大な悪影響が及ぶだけではなく、結果として【魔術人格】を元人格が起動できないのだ。
「うん。だから堂桜くんが魔術を使えなくなったのは、今の堂桜くんの人格が、」
「堂桜統護は魔術を失ったといっても、魔力そのものは無尽蔵めいているわ。魔力の異質による【DVIS】の機能不全が原因でしょう。もっとも魔力の異質さのメカニズムは未だに解明されていないようだけれど」
推測ではなく裏情報として、堂桜財閥の研究部が統護を調べているのを掴んでいる。
統護の魔力異常の解明が終わらない限り、堂桜一族は統護が『別の統護』だと分かっていても、野に放つわけにはいかないのだろう。最低限、《デヴァイスクラッシャー》の対応機能を【DVIS】に装備する必要はあるし、あるいは新しい魔術兵器の基礎理論として……
美弥子は胸を撫で下ろす。
「そうか。そうだよね。堂桜くんは【魔術人格】じゃないよね。ちょっと早とちりしたわ」
「二重人格とかの精神疾患者でもないわ。彼はあくまで彼ね。その人格や言動に揺らぎは見られなかった。極めて健全な精神状態よ」
「よかったぁ」と、美弥子は緊張を解いた。
深那実は「やれやれ」と嘆息した。
「堂桜統護が何者か――って現時点で何も分かっていないのに、姉貴には充分みたいね」
「うん。私にとって堂桜くんは堂桜くんだから。大切な生徒だから。それに……深那実が素直じゃなくて堂桜くんの敵じゃなくて味方だって、お姉ちゃん、誰よりも分かっているから」
「まあ仮に私が堂桜の敵に回る結果になっても、きっと統護くんも一緒に敵に回ってくれそうだけれどね。彼、そういう奴よ。本当にお人好しで――莫迦な男」
再び美弥子の声色のトーンが落ちる。
「やっぱり、まだ深那実は堂桜の謎を追っているんだ」
「堂桜も暴こうとしている謎・秘密の一つ。特に今回のMMフェスタは色々ときな臭いし」
「きな臭い?」
「だから姉貴はMMフェスタには来ないで。最悪でヤバい現象が起こるかも」
深那実は美弥子の耳元に唇を近付け「もしも私が殺されて、仇を討ちたくなったのならば、この単語から始めなさい」と囁いた。
――A.L.L.計画――
AはANSWERの『A』の可能性が高いけれど、イニシャルが何の略かはまでは掴めていないわ――
耳元から妹の唇が離れ、美弥子は目を見開いた。
か細い両肩が震える。両拳を握り締め、視線を足下に落とす。
視線を戻すと、深那実はすでに歩みを再開している。美弥子は慌てて妹の背を追った。
悲しげに呼び掛けた。
「どうして!! どうして深那実はお姉ちゃんを心配させてばっかり!」
深那実はやるせなさ気に答える。
「それが私だから。こういった生き方しか私はできないから」
「お姉ちゃんには理解できないよ。お姉ちゃんは――深那実みたいに賢くないから、頭良くないし、才能ないし……。けれど、できれば安心させて欲しいけど、それじゃ駄目なんだよね」
「ちゃんと理解できているじゃない。姉貴と才覚と器じゃ、私と同じ目線と視野を共有できないって、『理解する能力がない』と理解できているわ」
「お姉ちゃんだって深那実の味方したい。一緒に歩きたい」
「今言ったばかりじゃないの。『できれば安心させて欲しいけど、それじゃ駄目』と。その通りよ。姉貴を安心させる生き方をする私は、すでに私――琴宮深那実として死んでいるわ。人は変われる部分と譲れない部分が混在している。今の生き方は、譲れない部分よ。そして姉貴の『今』だって同じはず。優等生で親孝行で生徒に慕われている琴宮美弥子は、譲れない部分だって思うけれど? それとも――姉貴は私一人の為に『死んで』くれる?」
深那実の瞳に酷薄な色が満ちる。
美弥子は穏やかな顔になり、首を横に振った。
「ううん。死ねない。私は琴宮美弥子を辞められない。自分を変えずに、相手だけ都合良く変わって合わせて欲しいと願うなんて、エゴだったね」
「人が人である故がエゴよ。私の原動力だってエゴ。ま、夢やプライドではないわね」
「エゴとエゴのぶつかり合いの結果が、今の琴宮家だというのなら、ちょっと悲しいけどね」
その言葉を、深那実は否定する。
「私はむしろ幸運だと捉えているわ。家族だから親子だから、理解し合えるなんて幻想。それを両親は身を以て教えてくれた。人は本音や本気をぶつけ合えば、エゴを持つ故に何かしらの衝突が発生するわ。だから結果が決別であろうと、妥協であろうと、それは悲しい事では決してありえない。むしろ表面上だけ互いに取り繕った関係こそ――偽善ね」
「そうか……。あぁ~~あ! 連絡くれた時、ひょっとして家に帰ってくれるかもって、ちょっとだけ期待したんだけど、やっぱり深那実は深那実のままだった!!」
最後の叫びは、涙混じりに震えていた。
対して、深那実はあくまで冷静さを貫く。
「ええ。私はこれからも琴宮深那実をやるつもり。姉貴の妹をやるつもり。だから琴宮家を、莫迦で愚かな両親や祖父母を――頼んだわ」
美弥子は目尻に溜まった涙を拭って、頷いた。
「頼まれました。うん。万が一にもないと思うけれど、深那実が深那実を辞めて逃げ帰ってくるのなら、居場所くらいは残しておくから。それに《A.L.L. 計画》については、聞かなかった事にしておく。だって必要ないから」
「そうね。復讐に生きるなんて姉貴らしくない。失言だったわ。忘れて頂戴」
これで絶対に殺されるわけにはいかなくなったな、と内心で苦笑した。
美弥子は深那実の裾を掴んだ。
「堂桜絡みで嗅ぎ回るって事は、しばらくは近くにいるんだよね?」
「うん。しばらくはニホン国内に滞在予定」
「国内って、関東圏内じゃないの?」
「なによその顔。この広大な【イグニアス】においてニホンなんて小さな島国は、ご近所や庭みたいな狭さじゃない」
「お姉ちゃんには、この学園だって広い世界だっていうのに……」
「御免ね、姉貴。私は狭い世界じゃ、窮屈な人生じゃ、耐えられないんだ」
深那実は美弥子が握る裾を振り払う。
そして背後に回り、自分より背の低い姉を優しく抱きしめた。
仕方がない。ちょっとだけリップサービスしてあげる。そう照れくさそうに言葉を紡ぐ。
――いつでも心は傍に在るよ。大好きな、お姉ちゃん。
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…
「なあ? 本当に出ないのか、MMフェスタの公開オーディション」
音楽室でのボイストレーニング中。
深那実に出場を勧められたが、晄は頑なに断っていた。
「私の歌は……」
「趣味だとは言わせないぜ。学校のグランドピアノを使って丁寧に音程とってまでやっていた、あの真剣な練習が、カラオケボックスで歌う為のものだなんて、俺には思えない」
あの時の彼女の姿は、紛れもなく未来を切望し、切り開こうと努力する者であった。
晄の反論は――来ない。
ここが分水嶺だ。少しでも反論や反発がくれば、そこで退いて『終わり』にする気である。
彼女の対人恐怖がそれほど簡単な問題ではないと、身を以て理解している。
「出場枠なら俺がねじ込める。予選なしでも、宇多宵の実力と活動実績なら問題ないだろう」
「……」
沈黙。
まだ否定の言葉は出てこない。迷っているのだ。
(きっと、もう一押し)
晄は背中を押して欲しいのだと、統護は感じた。
だから勝負に出る。
「もしもオーディションに出るっていうのなら、特別にゆりにゃんに会わせてやるよ」
晄が榊乃原ユリの熱烈なファンだと調べはついていた。
「ほ、本当に!?」
「ああ。その程度の融通は利かせられる」
はずだ、という語尾は飲み込んだ。
うつむき加減で晄はしばし考え込み――決然と顔をあげた。
「堂桜くんが私を応援してくれるのって、やっぱり私の歌のファンだから?」
「最初はそうだった。でも今はそれだけじゃない」
「そっかぁ。それだけじゃない、かぁ」
晄は嬉しそうに頬を緩める。
「宇多宵?」
「一つだけ条件っていうか我が儘。宇多宵じゃなくて晄って呼んで、――統護くん」
その返事に、統護は思わずガッツポーズをとった。
晄の歌を世界に届ける第一歩――
いざ、『堂桜・マジック&マシン・フェスティバル』へ。
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