第三章 姉の想い、妹の気持ち 7 ―統護VS鈴麗②―
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7
対峙する両者の間合いが、瞬間移動のように圧縮される。
統護は鈴麗の懐に踏み込む。力強い足音が鳴る。
鈴麗も踏み込もうとしていたが、ステップインの速度は統護が一枚上手だった。
「ちぃッ」
低い姿勢で潜り込まれ、鈴麗は舌打ちする。カウンターで左膝を跳ね上げるが、統護はダック&ロールで巧みに躱す。苦し紛れの膝蹴りをミスし、片足立ちの鈴麗は上体を動かせなくなってしまった。統護はそこを逃さない。
「おぉッ!!」
左アッパーのモーションをフェイントに入れ、統護のオーバーハンド・ライトが唸った。
肩口からスリークォータ気味に弧を描いて飛んでいく右拳の狙いは、鈴麗の正中線――すなわち身体の中心である。それも首を支点に左右に振れる頭部ではなく――鳩尾付近だ。
ずっドォンッ!!
重々しい打撃音が響き、鈴麗の身体が後方に弾かれる。
直撃した――といっても鳩尾ではなく、鳩尾をカバーして重ねられた左右の手の平の上にだ。
受け止めたが、そのままキャッチできずに、鈴麗は吹っ飛ばされた。
統護は右拳に残っている手応えに、眦を決する。
狙い通りだ。いや期待通りだ。相手がキャッチするのを前提で、ほぼ手加減なしで打った。仮にキャッチしてもらえなかった場合、かなり危険であったが、体感した鈴麗の力量からしてもそれはないと判断した。
浅くはないダメージを与えた。一気に決めにいく。
追撃にいく統護。
どうにかダウンせず踏み留まっている鈴麗だが、下半身が力ない。グラグラと上体が揺れる。
鈴麗は鬼の形相で歯を食いしばる。鳩尾を打ち込まれ、呼吸が阻害されていた。
彼女を包む《カメレオン・ミラージュ》の光量が爆発的に増していく。
チャイナドレスの布地が――透明になる。
防刃・防炎・防水を備えているだけではなく、《カメレオン・ミラージュ》と同調して模様を変じられる特殊繊維で作られている衣装だ。
透明になった衣装から透けて見えるのは、鈴麗の魅惑的な肢体に絡みつく、複雑なマニピュレーター群である。もはや服とは言い難いが、新型の【黒服】だ。これが彼女の尋常ではない筋力の正体である。
燐光が鈴麗の右腕に集まっていき――
「秘技・《百烈蛇蝎》!!」
ひとつの刺突から、燐光によって幾重もの刺突がミラージュされた。
ずぅぉぁぉおおおぁっ!
鈴麗の腕周りの空気が悲鳴をあげた。実体の連打に、幻影の連打が上乗せされる。
透明無地だった袖周りの模様も、突きの連打をカモフラージュするように工夫されていた。
統護は突進を止め、間一髪のタイミングでスウェーして躱す。
刃物の爪をつけた突きだ。毒も塗られている毒手でもある。擦っただけで致命傷になる。
統護はボディワークを駆使し、突きの雨を躱しながら、小刻みなバックステップで後退した。
射程外に逃れる統護を捉えようと、鈴麗は追い足を利かせて踏み込んでいく。
しかしダメージからか、ステップのキレは鈍かった。
見逃さない統護は、切り返しのサイドステップで、鈴麗の右サイドへと回り込む。
最適のポジショニングだ。
鈴麗は右サイドを取られ、右手ではロングフック系かバックハンド系しか打てなくなる。
採った選択肢は――肘撃。
右肘を払うように外側へと突き出す。
しかし統護は読んでいた。右ショートアッパーで鈴麗の右肘を打ち上げた。
「ひゃ、《百烈蛇蝎》っ」
鈴麗は体勢を崩されながらも、左腕で幻影分身を纏った連打を繰り出す。
だが左手からの攻撃は、右サイドに位置取りしている統護には、射程が遠い。
左の《百烈蛇蝎》とほぼ同時だった。右ショートアッパーのフォロースルーをモーションの溜めにして、反動をつけた統護の左拳が低く鋭い弧を描くと――火を噴いた。
ぐしゃぁああッッ!!
統護の左ボディフック――得意のリバーブローが、鈴麗の右脇腹(肝臓)へと豪快に炸裂。
深那実が歓声をあげる。
「リバーブロー直撃ぃ!! やった!」
肝臓(レバー)を痛打され、身体をくの字に折られた鈴麗は、派手に喀血した。
しかし、それでも倒れない。
悶絶していても、その双眸から闘志が消えていない鈴麗に、統護は攻撃の手を緩めない。
鈴麗がガードを取れる間を、一瞬だけ与え――
「ぅぉぉおおおおおっ!」
ガゴォ!!
渾身の右ロングアッパーであった。
クロスアームブロックした鈴麗の身体が浮き上がり、そのまま天井まで持っていかれる。
いや――鈴麗は統護の拳の威力を利用して、天井へと逃れていた。
天井に張り付いたまま落下してこない。
鈴麗が装備している新型【黒服】の機能によって、天井壁に吸着している。
その姿は、獲物を狙う毒蜘蛛だ。
統護はガードの上からノックアウトするつもりだったが、そう上手くはいかなかった。
鈴麗は脂汗が滲んでいる顔を歪める。おそらくは笑顔のつもりだ。
「ぅふふふふ。強いわね。特になんてパンチかしら。受けた瞬間、問答無用で両足が浮き上がるなんて、初めての体験よ。ボクサーの真似事で本性をコーティングできるわけね。いえ、ボクサーとしても純粋に世界レヴェルに達している。ミドル級以下ならば、今すぐにでも世界タイトルを獲れるでしょうね」
「ここで退いてくれないか? アンタの動きは見切った。というか、龍さん。アンタ、俺と戦う前から結構なダメージを抱えているだろ。ところどころ動きが不自然だ」
最初のステップインに成功した時に気が付いていた。反応が鈍かったり、動きが引き攣ったりするのは、鈴麗が故障を抱えているからだ。
「あら、そこまで分かるなんて……。本当に大したもの」
「アンタの光学系魔術は、真っ向からの近接戦闘には不向きだよ。特に自分よりも格闘能力が上回る相手には。所詮は誤魔化しの手品に過ぎない」
そう言いつつも、統護は鈴麗が退かないのを承知している。
天井に張り付かれたままでは、攻撃手段が限られる――というよりも、跳躍してのヒット&アウェイしかない。何か投擲できる物……と、素早く視線を巡らせる。
「……それじゃあ、続きといきましょう。《ハイド・ミラージュ》」
唱えた【ワード】と当時に、鈴麗の姿が四方に分裂し――四体全てが壁面に溶け込む。
正確には、纏っている燐光と衣装を、壁面の模様に同調させたのだ。
統護は目を疑う。
いくら光学迷彩で擬態したとしても、ここまで自然に姿を消してみせるとは。おそるべき暗殺者である。
耳を澄ませ。
移動する気配と微かな音を、決して捉え逃すな……
キィィイイイぃぃイイ――、という金切り音が、部屋内に共鳴していく。
(なんだ!?)
動揺する統護に、深那実が警告した。
「落ち着いて!! 衣装の下に着ていた【黒服】の機能よっ!」
「あれかよ」
「移動音を誤魔化す小細工よ。惑わされずに、音を捨てて気配だけに集中しなさい!!」
ゾクリ、と背中に寒気が走る。
殺気を察知して振り返ると、壁際の一部に不自然な揺らぎが見え……
カッ!
床から音がした。統護が身を翻すのと、ほぼ当時。
足下の斜め後ろに、毒を塗ってある付け爪が突き刺さってる。
「あっぶねぇ」
統護は大きく息を吐く。
これが暗殺者である鈴麗の本来の戦い方だ。付け爪には【ベース・ウィンドウ】の魔術サーチをジャミングして魔術師の超視界を阻害する性能が付加されている。そして【結界】の物理防御機能をも巧妙にすり抜ける――いわば《魔術師殺しの毒爪》だ。
深那実が感心した。
「へえ。よくパニックにならないわね。視えない敵からの緊張感って深刻だと思うけど?」
「そうだな。それなりに場数を踏んでいたお陰かな」
山籠もりにおいて、木々に囲まれて視界が劣悪な中、野犬の群に襲われた事もある。
あの時の緊張感は今よりも深刻であった。何よりも深那実が傍にいる。独りじゃない。
再び、殺気を捉えた。
シュッ。
二発目の付け爪が飛んでくる。
投げる瞬間だけは、どうしても腕の迷彩が不完全になる上、付け爪の迷彩が解除される。その一瞬を見極めるのだ。
統護は一発目よりも余裕をもって躱した。
躱すだけではなく、床に刺さった付け爪を抜いて、投げられた方向へ投げ返す。
しかし付け爪は天井に刺さった。
統護は部屋内をぐるりと睥睨する――が、まだ気配を掴みきれない。
「ニヒヒ。そろそろ私の出番かなぁ!?」
快活かつ楽しそうな深那実の声。
思わず統護が深那実を見ると――彼女はサブマシンガンを構えていた。
ソファーの下に隠していた一品だ。
元の世界でいえば『H&K MP5』に外観は酷似している。もっとも派生モデルが多い銃なので、一見しての印象に過ぎないが。
そんな細かい事よりも。
「アンタどうやってマシンガンなんて持ち込んだ!?」
「いいから頭を抱えて蹲って!!」
ファイヤ、と楽しそうに叫んだ深那実は、サブマシンガンをぶっ放した。
ズダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダッ!!
統護は慌てて床に伏せて丸まった。
「なんて女だ! 無茶苦茶だぜ」
「あはははははははっ! きぃ~~もちぃいいいいいっ♪」
新型【黒服】からの共鳴音を、パラベラム弾がバラ撒かれる射撃音が塗り潰していく。
天井と壁に次々と銃創が穿たれていく――が。
一箇所だけ例外があった。
天井の中央付近。そこだけ銃弾が届かずに停止していた。
鈴麗を包む《ハイド・ミラージュ》は、簡易的な防御【結界】としても機能している。単なる魔術事象で身を包んだだけの【基本形態】ではない。
そして科学兵器は魔術には通じない。この世界における絶対的な掟だ。
特に【結界】は、銃弾と識別できる高速の物理現象に対して、オートで防御するパラメータに設定されるのが通例になっている。
「あそこよ!! 統護くん」
深那実は最初から銃撃で鈴麗を倒すつもりなどなかった。狙いは、銃弾を止めさせる事によって、鈴麗が潜んでいる場所を暴くこと。
「うおおおおおぉぉっ!」
吠えると当時に統護は飛んだ。最速の跳躍だ。
逃がさない。付け爪を投擲させる時間も与えずに打つ。
ダッシュナックルならぬジャンプナックルを、銃弾が止まっている空間に叩き込む。
右拳に渾身の魔力を凝縮して。
ドごゥォ、という破壊音と右拳の手応え。統護の一撃は鈴麗の身体と新型【黒服】を砕くだけではなく、彼女が纏っていた魔術をも打ち砕く。
光学迷彩を解除された鈴麗が床に落下した。
背中から落ちて、受け身をとれない。しかし意識は繋いでおり、すかさず起き上がる。
着地した統護は鈴麗に向かい合った。
一時的に【基本形態】を破壊しただけであり、まだ鈴麗の専用【DVIS】は生きている。
魔力も感じる。再び魔術を立ち上げる事は充分に可能だ。
統護は油断なく問いかける。
「まだ戦うか?」
「いいえ。お見事。オルタナティヴも強かったけれど、やはり最強は貴方かしらね」
オルタナティヴと鈴麗が口にして、統護は一瞬だが思考が止まる。
鈴麗は背中を翻し全力で走ると、窓ガラスを突き破って、外へと脱出した。ガシャァァアアアんン、と甲高い音を響かせてガラスが割れ散った。
ちなみに此処は、地上十五階である。
(おい。逃げるのはいいけれど、大丈夫なのか?)
防弾処理されていないガラスの残骸を見つめる統護に、深那実が力一杯叫んだ。
「ヤバイ!! 逃げるわよッ!!」
光源は鈴麗が押してきたカートである。
深那実は統護へ向かって走った。
統護は駆け寄ってきた深那実を抱きとめる。
カートから「カチッ!」と音が鳴り、高熱を伴った白光が空間を満たしていく――
ドォォんン!!
轟音がマンションの壁面を揺する。
全ての窓ガラスが粉々に吹き飛び、部屋の外へと散っていく。
指向性を持たせたプラスチック爆弾であった。
爆炎と高熱の濁流が、統護と深那実の部屋からベランダ側の高層空間へと噴き零れた。
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